逸脱せよ!


by amnesiac7
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< 横浜田中隼が人身事故、車ではねる >
なんでもF・マリノスのMF田中隼磨(23)が、道路を横断中のじいさんをハネたんだとか
じいさんは全治1ヶ月以上の重症、現場は見通しのよい片側1車線の道路だったそうな
最近では、手薄な代表の右MF、加地のバックアッパーへの期待も高まっていた選手なだけに
ざんねんな事故である
フットボーラーによる交通事故といえば、たしか同僚の久保なんかもサンフレッチェ時代に
やってたような気がするし、事故アフターの対応もちゃんと聞いておくといいと思うな
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by AMNESIac7 | 2005-09-06 19:44 | サッカー
むかしのことを思い出せば、これでもそれなりには進歩しているとは思う
だけど、こうしてブログを書いていて、いただくコメントを読んでいると、
まだまだぜんぜんダメだなぁ、とも実感する
ボクがここで述べている意見・雑感が、本人の意図とはまったくちがう解釈を持ってとらえられ、
相互間での認識がズレたまま、話が進む(いや、進みはしない)

ボクの文章には、いまだ解りづらさが多々あるという証拠かもしれない
だが、わかりやすさのみを重視すれば、もちろんその文章は大きくは意味を成せず、
あまり価値を持ちえなくなるだろう
このブログは、ボクのためのその瞬間の記録である以上、ボクがあとで読み返したとき、
ちゃんとなにかを成していなければ、なんの意味も持たない
_のだが、いつも訪問して、閲覧してくれている方々のことも考慮しないわけにはいかない
このバランスは、とてもむずかしい というか、むずがゆい
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by AMNESIac7 | 2005-09-05 20:10 | 雑記・雑感

柳沢教授のことば

b0006096_2046639.jpg人が祈ってよいのは
人の力が及ばぬことだけだ

私は2人の幸福を
祈ってはならない
・・・・・・・・・・
考えるのだ!


『天才 柳沢教授の冒険⑮』~黒い豹の山のもとで~より
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by AMNESIac7 | 2005-09-04 20:46 | 名言・箴言・迷言

相対す

光極まれば 影色を深め
影濃くなれば 光存在を増す

きみは何者に対しての影であり 光であるのか
相対す相手こそ きみの大きさを決める

卑小な光や影にはとらわれるな
つまらぬものなどは一気に飲み込んでしまうほどのエネルギーを われ きみに要求す!
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by AMNESIac7 | 2005-09-04 17:27 | 雑記・雑感

追想錯誤障害

人間は、記憶を引き出しから出し、何度も味わっていくうちに、記憶そのものにどんどん過去にはありもしなかった新しい味を足していく性癖を持つ
それが最初に味わった味なのか、途中で加えられた調味料によって変化した味なのか、
いつのまに区別できなくなり、これが「ほんとうの」味である、などと言い出すようになる
それは人間の脳が、デジタルな処理ではなく、常に編集にさらされている、可変的なものであることに由来するのだが、それにしてもご都合主義な味オンチのなんと多いことか(もちろんボクも含む)
もし人間の記憶装置がデジタルなものと交換することが可能になれば、ひとは自らが持つ恥ずべき過去によって、明日に向かって生きていけなくなるかもしれないが、恥知らずとどっちがマシと感じるかは、そのひとの人間性にもよるだろう

生きやすい世の中とは、ひとによってちがうものだが、公正といえる世の中が生き難いと感じるような人間にだけはなるまいと、常に自戒していきたいものである
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by AMNESIac7 | 2005-09-03 21:25 | 雑記・雑感
きょうは書くことも特にないので・・・
メルクマニュアル医学百科 最新家庭版などを紹介してみます
ブックマークにこういうのがあると、すこし安心ですね
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by AMNESIac7 | 2005-09-02 20:09 | オススメなのか?
乙武くんの記事「複眼的な視点」を読んでのボクの感想など_

歴史教科書問題に関しては、いままでも何度か記事にしてきたことなので、
今回は、ほんのすこしだけポイントだけを指摘しておく

義務教育で歴史を教科として学ぶ場合、そこで学ばれるべき歴史とは、
「真実」を列記したものではなく、「事実」が列記されたものがのぞましい
「真実」とは、視点、それこそひとの数だけの真実があり、どれが正解と断定できるものではないからだ
まず最初に学ぶべき基礎というのは、やはり正確性の高い「事実」を大前提として採用すべきであろう

つくる会の教科書がたびたび問題とされるのは、これもやはり真実的領域の記載が多分に含まれているためだろう
「真実」というのは、いわゆる個人ないしは一集団の「私見」の域を出ず、それはほとんど「物語」にすら近い性質をもつ 
これは他方の見解からすれば、ほとんど架空のフィクションに似つかわしいようなものにすらなりうる

扶桑社の造る歴史とは、いわば内向きの文学とほとんど同じに感じる
真実的領域の話を堂々と語るその姿勢は、道徳の分野にも野心を持つ越権行為にすら映る
物語的な歴史は、義務教育とそれに類する基礎教育には相応しくない

内向きにせよ、外向きにせよ、こういったオナニー(過剰な自己肯定の文学)教育は自己責任のもてる大学生くらいになってから、やりたいやつらだけが受ければいい
選択権もなにもなく、集団的オナニー感を押し付けられるのは、そのあとの性向にも悪影響を与えるので、控えてもらいたいものだ

ほんとうに歴史を教科として教えたいのならば、どこまでも「事実の列記」をのみ重ねたものが、最も望ましいとボクは思う
「こういった理由で~」などという無理やりな理由付け(そもそも当人でもないくせに、歴史家が断定的に理由を述べるという行為は滑稽としかいいようがない)は基礎教育には必要ない
判断は授業を受けた個人に委ねればいい
(それこそ生徒同士で、ああだ、こうだ、と議論すれば、授業も盛り上がるのではないだろうか 世の中、なんでもかんでも断定的に不可侵領域に勝手な解釈を付け足したがるバカが多すぎる)
もし、数値に異議があるのならば、どの教科書でも「この事件に関しては○○人説や○○万人説」などがあるなどと、併記すればことすむ話である

戦争には、戦争に走った理由を学ぶのではなく、どこの国がなにをしたのか、これがすべてだと思う
志しは高いがなにもしなかった人間と、
腹のなかは真っ黒なヤツだったが、やったことは生涯通して素晴らしかった人間がいて、
どちらを評価するのかといったとき、真実的領域で語ってしまうと、前者のほうが偉大だ、なんていうバカが出てくる可能性すらあるからね
人間はやったこと、「事実」でもって評価するのが妥当であり、公正というものだ
真実的評価によって事実を歪める行為は、社会的にいえば悪ですらある、とボクは思っている
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by AMNESIac7 | 2005-09-01 21:01 | 雑記・雑感