逸脱せよ!


by amnesiac7
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カテゴリ:断想( 22 )

腐敗構造_腐ったミカン

「おまえは腐ったミカンだ おまえがいたら周りまで腐らせてしまう」_これは発言の状況を取り除けば、ひとつの真理に近しいことばである
ミカンは腐ってくると、周囲にエチレンガスを放出し、同じミカン箱の中の仲間たちをどんどんと道連れに腐らせていくからだ
これは人間社会にも適用できることばではないだろうか

ボクは、性善説・性悪説についてはよくわからないが、もし性弱説とというものがあれば、迷いなくそれを支持するだろう
ひとは染まりやすい生き物だ
とくに、不正をしているにも関わらず、何ら罪めを受けていない人々を見ていると、口ではどうこう言おうとも、内心ではうらやましがっていることが往々である
その不正者が一定数を超えても、なお何らを罪められないとき、もう状況は一気に加速し、無法地帯と化す
ひとは染まりやすい生き物だ どうしようもないくらいに

不正を摘み取る環境整備のひとつの手段として、批判というものがある
しかし、ひとが批判を口にするとき、現在の世相においては、単なる愚痴・保守の場合が多く映る
その批判の行き先に、いったいどんな素晴らしい世界が待っているのか、はだはだ疑問の、である
批判は、不正を摘み取り、“公平な世界”を構築していくために本来の意義を持っているはずなのだが、現世相においては、惰弱にも、公平≒唯我独尊、単なる個人主義的わがまま、といった様相を呈してきているように思われる
他者との協調ではなく、単なる自己思想の押し売り
保守的かつ破滅的、暗澹たる未来図の共有強要の場合がほとんどである
いったいどうなってきているんだ?

右っぱなしの人々へ
貴方たちの描く未来図には、ボクのような存在は、「数」に含まれているのですか?
貴方がたは、ボクに思想の改宗を強く求めているのですか?
ボクは協調主義者ではありますが、貴方がたと同様に偏狭な個人主義者でもあります
右っぱなしの人々へ
貴方がたがやっている行為は、「改宗しなければ数には含めないぞ」という単なる宣戦布告でしかありません
もしそうならば、ボクもそのケンカを買うしかありませんね
非暴力・不服従というカタチで
無視です これがボクなりの返応です
しかし、それでもなお噛み付いてくるというのならば、手段を選ばず、貴方がたの向こうズネを蹴飛ばしにいきます
ボクは、協調主義者ではありますが、わざわざ仲良くする気のない人間と付き合う気にはなれません
どうせダメなら、お互い不干渉、これが成熟した大人の世界の大前提ではないでしょうか

噛み付き癖のあるヤツは、大概、閉塞的右っぱなしが多い
(これは単なる絶対数の違いか?)
わざわざお互いの心の領土を侵犯する必要はまったくない
それはあたかも侵略戦争の行為に近しいのではないか
仲良く不干渉、これがイチバンだ
共感性を持った仲間なんて、放っておいても自然に集まってくるものなのだから
わざわざ出兵なんてしなくてもいい
それはただ「向こうの家の庭、なんだか騒がしくて腹が立つな」といって怒鳴り込んでくる、孤独感ありありの悲しいじいさんの精神状態の露出のようではないか
自分の住む世界(小局)は、自分で構築したものだ 責任は自分にある

人間なんて、だいたい15歳も超えれば、根本的思想は肉体的改造でも加えないかぎり、変わらないものだ
ひとの思考を積極的介入で変えられると考えるのは、不遜にも自己神格化しているとしか思えない
途方もない馬鹿げた妄想である
ひとは変えるではなく、変わる生き物だ
そのへんも計算に入れて、蠢動すべきである(マスメディアのやり方がそうであるように)

最近、補足コメントもなしにトラックバックを撃っていくひとが多い
スポーツや芸能、一般ニュースなどのカジュアルなものになら一向に構わないのだが、こと政治的な記事に関しては、できればコメントを添えていってほしいものです
政治的なものには、かけられているベクトルが判別できないと、偏狭なボクの脳みそでは、なかなかにレスポンスしにくいというのが現状なので
トラックバックには、かならず何らかの意図があるのでしょうが、行ってみた先の記事を読んでみると、「なんでうちにわざわざTB撃ってきたんだろう?」というものが、ざんねんながらけっこうあります(単なるニュースのコピペで、自分の意見がいっさいないものなど)
コミュニケーションをするつもりで撃ってきているのなら、できればわかりやすい意図のものをおねがいします まったくもって「?」なものは、これから放置・削除で対応することもありますので
※政治的なもの以外は、いたって良好な状態です 遠慮なく、トラックバックよろしく

現在、世相は不正を放置しつづける状況にある
腐ったものは、どんどん除去、切捨てていかなければ、もうこの国自体が腐ったミカン箱になる寸前の状態にまできている
腐ったアタマは取り替えるべきだ 相手よりもまず自己の適切な治療に専念すべき段階だ
自家中毒に陥っているヒマはドコにもないはずだ


※朝、親戚からお歳暮できたミカン箱に1個腐ったミカンを見止めただけで、よくもまぁ、ここまで思考が飛躍したものだw
なんだか内容が、胡散臭く北朝鮮とリンクしてた(あくまでも風ねw)のところがあったけど、なんの意味もないし、まったく関係ありません ただ北にはあくまでも対話で、は前記事のとおりの私見ですが
ヽ( ´¬`)ノいよいよ、今年も暮れですな~
こんなこと、朝からのんびりと書きとめれるような状況のウチの店って、いったい・・・_| ̄|○ w
ああ、不景気はヤじゃの~!!!
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by amnesiac7 | 2004-12-16 12:04 | 断想

相当罰

また陰惨な凶行がおこなわれた
少年4人による女子高生のレイプ
犯行グループと女子高生は、面識がなく、まったくの刹那的な犯行である

ハンムラビ法典に「目には目を」というものがあった
これは、(一般に勘違いされて捉えられている)「やられたらやり返す」という意味の野卑たる古の規則などではなく、「やられた分しか、やり返してはいけない」という、報復の連鎖を抑える分にも有効かつ、人道・人情的な観点からいっても、とても優れてた法であった

今回の犯行で主犯格となった2名には、いかなる量刑がふさわしいだろうか?
なんら情状酌量するような理由もない、いたずらな衝動に狩られた刹那的凶行
おそらく極刑こそが最も相応しい刑罰だろう
ボクも死刑廃止論者ではあるが、それはあくまでも「冤罪の可能性」というものが頭にあるためであり、こうもはっきりとした単なる衝動による無軌道な凶行に関しては、処刑もなんら問題ないだろう
「加害者の人権」というものは、加害者に情状の可能性がある場合にのみ発生するものであり、こういった非人間的犯行においては、加害者にはいっさいの人権を保持する資格を認めない
加害者は、相手の人権を暴力的に蹂躙することによって、自らの人権を放棄したと認めたに等しいのだからだ

_とはいえ、死刑を制度化してしまうと、やはり冤罪等の問題が発生してしまうだろう
では、いったいどのような刑罰が、こういった犯罪には相応しいのか?

まず、ボクが近代的かつ人道的にも人情に合致していると思われるハンムラビ法典の精神を参考にするのならば、ボクは被害の女子高生に以下のダメージを認める_
・見ず知らずの男たちに突然され、いままでふつうに生活していた連続性を、突如、なんら理由もなく断たれてしまった衝撃
・事件以降に待ち受けるであろうさまざまなショックとトラウマ 異性に対する根底からの不信感の発芽 周囲からの「被害を受けたひと」という心の凍りつくような視線 
・社会的ルールから、根底から見放されたような、何も信じられないくなるような衝撃 それらから引き起こされるであろう精神的混乱や不眠・・・e.t.c
_数えればキリがないが、犯罪者は、事件そのものだけではなく、これら事件以後にも起こるであろう2次被害のすべてを罪として厳罰を受けなければならないだろう
これだけの犯罪を犯せば、極刑こそが相応しいが、死刑がないとするならば、いかなる量刑がふさわしいのか

ボクが刑罰の選択者ならば、以下の刑を認定するだろう_
・まず畜生による加害者への蹂躙刑 (しかし、これではヌルすぎる 被害女性が人格否定を受けたように感じたであろう衝撃を補うには、まったく足りない)
加害者の生殖機能の剥奪 睾丸の摘出及び、勃起能力の除去 (これは必ずすべき処置である 子供を生む権利という点も全く問題ない こういった加害者の子として生まれたら、子供も被害者となりうるのだから)
_あとは『時計じかけのオレンジ』のような、暴力的なものすべてに対して恐怖を抱くような処置がふさわしいだろうが、この点に関しては、医学のほうが未発達のため保留とする

しかし、実際のところは、彼らにはこれに近いであろう刑罰はいっさい与えられず、ほんの数ヶ月の服役で、なんらそれ以降のお咎めもなく、のうのうと放免されてしまうのが、また今回もオチではなかろうか?こんなことでは、これ以降の犯罪もいっさい抑止できないのではないか

お隣の中国では、年に何回か、年齢などに関係なく処刑が判決・即時執行されている
それを見ていて、日本では、「ただ」野蛮だというひとも多いが、それこそ「ただ」なにも考えず、漠然と暮らしているのではないか、とボクは思う
罪と罰のバランスはむずかしいが、非道なものには厳罰、こそが、「ただ」漠然と生きているひとたちにも、本当は必要だということをもう少し考えたほうが良いのではないか
この国おいては、殺人以外の ひとの精神をブチ壊すような犯罪への刑罰が軽すぎる
少年法による年齢規定も義務教育世代前後まで引き下げる必要がある
「18歳以下は未成年」扱いというのは、長い歴史のなかでも、ここ100年にも満たないのだから
肉体が大人と同等になった時点で、行える犯罪も大人と同じなのだから、大人と同じ量刑を受けてしかるべきだ 
でないと少年法は、抑止力どころか、助長にしかならないのだから


未成年だからセックスをするな、とか、アダルトビデオを見るな、とは言う気はないが
セックスの大前提は和姦
という、この世に数少ない真理ををしっかりと理解できるような環境になってもらわなければ困る
なんでもかんでも規制するのもアレだが、この世からレイプもののビデオ、コミック(問題を問うものを除く)は排除して然るべきではないのか?
こういったアダルトビデオなどが衝動のはけ口を補っている、という説も存在するが、
こんなもの「そうか、この手があったか」「ひょっとしてオレがヤッたって問題ないんじゃん」と勘違いするバカの数、バカを助長している効果のほうがはるかに大きいだろう
強姦は厳然たる罪科であることをもっと強調すべきであろう

こういった「情状の余地のない」性的蹂躙という行為には年齢は関係ない
厳罰、相当刑こそが相応しい

続報ありました
4人のうちの1人が女子生徒の同級生だった、そうです
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by amnesiac7 | 2004-11-30 15:44 | 断想

純愛ブームの次は?

純愛ブームの次は・・・(Oto's Mail)

純愛ブームの次は、ズバリ、“純朴”ノスタルジア・ブームあたりか
すでに近年、ちらほらと出てきているが、そろそろ本格化するのではないか
ひとの心がついていけないほど早く流れる時代、ひとびとはみな、自分の原風景を求めだす
ターゲットによって異なるだろうが、60~80年代の視聴者の“たのしかった”(子供)時代を舞台とするような、心の奥襞にくる、そんなドラマ
ヒットさせる気で本気で狙うなら、このあたりの設定だろう
(その際、いま流行りの“泣かせる設定”は全く必要ない 勝手に視聴者が泣いてくれるから)

ところで、ボクが仕掛けるとしたら、こんなのがある
それは“全本音”ドラマだ
人物同士の会話をメインとはせず、登場人物の心象風景をギリギリまで描写していく
建前は完全に取り除いた、ひとのギリギリいやらしい卑屈な弱さ
それを独白、あるいは完全ナレーションあたりでやってみるのはおもしろい
疲れきった時代、なにも癒しだけが癒しの方法ではない
自分よりも絶望的なヤツが、それでも“生きる(これは前提)”という選択肢を選ぶような、そんなドラマ
・・・て、けっきょく癒しか

(あ、全本音ドラマで、政界モノをやるのもおもしろいな 視聴者が思わず怒りだすような 怒りもまた生きるエネルギーであるから)
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by amnesiac7 | 2004-11-28 13:22 | 断想

ぶっちゃけと言霊

どんなことばにも、それなりの魂がある

近年、“ぶっちゃけ”ということばが、ふつうに日常的に使われるようになってきている
元来、ぶっちゃけとは、腹にたまったモノを「ぶちあける(打ち明けるを強めた言い方)」という意味であり、それは本来、特別な事例であったはずだった
腹にたまったモノをぶちあける・ぶちまけるのだから、従来なら、それは関係のご破算すらありうるという覚悟を持ってのことば、だったはずだ
ところが現在において “ぶっちゃけ” は、まるで今様の流行歌よろしく、えらくカジュアルなものとなってきている

ぶっちゃけということばが、世に飛び交いだしたのは、いつごろからだったろうか? ボクの記憶では、ここ14・5年のことのように思われる
90年代初頭、バブルがはじけた当時、ひとびとは打ちひしがれ、世相は絶望的な気分にあった
ガムシャラに走り続けてきたひとびとが、不意に一所懸命しがみついてきたレールを外され、まるで先の見えない、突如、とんでもないストレスに見舞われた
なんとかガス抜きでもしなければいけない危機的な状態となり、すべてを許される免罪符を求めた
そのあたりから、世に“ぶっちゃけ”という名のプラシーボが、免罪符のように頒布されだしたのではなかったかとボクは記憶している
それはどうしようもない緊急時における、いわば臨時措置としての頒布だった、はずだった
(まるでオランダにおける大麻吸引の合法化のように)

しかし、どうやら大麻も“ぶっちゃけ”も ひとを堕落させる常習性を持っていたようだ

ことばは魂を持っている
何でもかんでも 不用意にぶっちゃけていると、相手にだらしないヤツと思われるだけでなく、自分自身にまで「自分はこんなにダメなヤツだ」「ダメだからしょうがない」という惰弱な精神を根付かせることとなるのではないか
ことばには霊魂があり、ヘタな乱用は酒、ドラッグと同じく、ひとびとの精神も肉体も腐敗させかねない劇薬ともなりうるのである
そもそも、多少のストレスで、なんでもかんでも ぶっちゃけていたら、ストレスに対する耐性もまったく育たず、いざ緊急の事態というときに、カンタンにハートが折れてしまう情けない人間となってしまうだろう
“ぶっちゃけ”を相手との手っ取り早いコミュニケーションとして使いたいのならば、その使い方をもうすこし吟味し、最も効果的なタイミングで“1度だけ”使うのが最も有効な“ぶっちゃけ”方というものである
常習的に使っていたら、いざ大事な場面でぶっちゃけても、「コイツにぶっちゃけられてもなぁ」と軽くあしらわれるのがオチであり、第一、自ら惰弱にした精神に最後のトドメを刺される、という不測の事態に追い込まれるなんて悪夢もありうるのだ
なんでもかんで、ぶっちゃけるものではない 第一、ハタ迷惑である

※ぶっちゃけ、長々と書いたけど、ただ“迷惑”てのがホンネでありんスw 
“ぶっちゃけ” をよく使うヤツらのセンスって、醜悪で不愉快極まりないことが多すぎるからね
ぶっちゃけ「記憶ございません」も、常習的すぎて、聞くほうもゲンナリしてしまい、追求の手をおろそかにしていまう、いわば『ブス(トリカブト)』のような毒薬となりつつあるのだから・・・
ぶっちゃけ はっちゃけ・・
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by amnesiac7 | 2004-11-22 14:10 | 断想

断想_「美人口の激減」

「むかしと比べて、最近の女の子たちは、ほんとうに美人になった」
近頃、こんなことをいう30~40歳代の男たちをチラホラ見かけることがあるが
「本気でいってるんですか、それ?」
とボクは聞き返したくなる

ボクには、カノジョたちの誤差がほとんど見分けられない
カノジョたちが、いったいどのくらい個体として差があるのか、まったく、である
これは年齢から来る知覚の磨耗の話ではない
「○山△△子」とか「□田×美」くらいのイレモノの区別はちゃんとついている
ただイレモノの中身が、まったく、なのである

近頃、むかしにくらべ、見目のキレイなひとは、たしかに増えてた
その飛躍的増加たるや、目を見張るほどだと思う
ファッション、メイクの技術などが確立され、多くのひとが、ほぼ平等にキレイになれる機会がある
そんな時代、黙ってわがブサイク道をいく、というひとも少ないだろう

芸術も女も同じ事である。最も美しく見えるためには一時代の精神的雰囲気、或は流行に包まれなければならぬ_と芥川某は言った

なぜ、いま、ファッションとメイクの技術が、時代的確立をなされているのか
それはやはり未曾有の不況に起因する、将来の不透明さにある、とボクは思う
ファッションやメイクに対してかけられる予算の減少
自らの感性に賭けられる、冒険心あふるる挑戦をするのには、ぜんぜん弾が足りない
と、そう思い込んでいるのではあるまいか

漠然と先行きの見えない将来に対して、どうしても保守的(コンサバティヴ)となるひとは多い
しかし、保守的というのは、自分から新たになにかを創造する、ということを放棄し
以前からある既成ものに何も考えずに固着し、自らなにかを考えることをやめることをさす
なにも考えない無表情の状態、トリカブトの毒にヤラれた例の顔・・・
保守的というのは、はやい話がブス(附子)の状態であるといっても、語弊はないのではないか

一見してブサイクといえるひとたちは、たしかに減った
しかし、そのひとたちが、美人になった、とはかならずしもボクは思わない
画一的非個性化により、ブスが激増している
本来、美人となれる精神的資質を持ったひとたちまでが、悲しいかな、ブス道に走っている
美人とは“際立った存在”を指し、けっして周囲と区別のつかない、固体をさす言葉ではない
美人になれるチャンスを捨てるひとが増えている
美人口、激減傾向ニアリ、である

ヽ( ´¬`)ノいまや美人は絶滅危惧種なのかもね~
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by amnesiac7 | 2004-11-08 15:31 | 断想

闇明ケヲ 自ラ言祝グ

風邪を引くと 普段では至らない付近にまで 思索は飛ぶ
不規則な時間に眠り いつもなら絶対に起きていない時間に 目覚めたりするためだ
大脳新皮質が眠り 旧皮質が活躍する
自らの根元的なものに触れる機会でもある

気が伏せり 意識に気丈さが失われたとき
それでもなお 自分のなかで守りたいもの
小さな おぼつかない薄い膜に覆われた 例のアレの正体
あまりにも脆弱な 自分の芯となる部分に 失笑すら覚える瞬間

いつもの闇憑きなら 過去回想であったり かならず昔から見る夢であったりを
薄ら意識のなかで見るのだが 今回の闇はちがった

ぼくがいまいなくなったら そのあとには 何が遺るのだろうか
こんな空想は 別に平時でもすることだが
今回は風邪だったために いつものヘリクツは 封殺された

ひとが遺したいものには 財産であったり 記録であったり いろいろとあるだろうが
ぼくはやはり 思考(思想ではない)的なものが なにか残ることを祈っているようだ

歴史上 さまざまな思索がなされ 新たな思考にも もう余白は残されていないような感すらある現在
だけど それははたして本当にそうだろうか?
人類が文字というカタチで なにか思索を遺すようになって わずか数千年
西暦の名乗りを上げて たくさんの書物が遺るになって まだ二千年足らず
行き詰っているのは わずかにいまを生きている人間だけではなかろうか と

思想の潮流が 積み重ねられてきたもの 何かを修正してきたもの である以上
完全なオリジナルなどは ありえない
しかし 時代 時代において たしかに「新たなもの」は生まれてきた
アリストテレスやニーチェでさえも 掘り起こせば 別段新しくもなく オリジナルではない
だけど 彼らはオリジナルだった
オリジナルとはなんなのだろうか?

オリジナル性とは 要は「さまざま思想をまとめるセンス」ではなかろうか
粉々に砕いたガラスを いかにキレイに並べ 貼り付けるかという 例のアレ
天才の定義は「より多くの人間の心の奥襞(おくひだ)を無条件に震わせる感情の発露」あたりを採用するとして その色彩感覚をいかにして磨くかが問題だ
「守る」ではなく 「磨く」
「守る」では弱すぎるし 人間的に矮小すぎる

人類の潮流に関与することについて 子供を持つことも考えた
これは素晴らしいことでもあるし 動物としての人間としては当たり前だ
しかし 子孫に夢を託すというカタチで 自己犠牲的錯誤に陥る危険性には 留意したい
「いつかワシの孫たちが・・・」なんてものは 当るかわからない宝クジを買っているのと同じで
なにかを遺したいのなら 自分でやるのが一番の近道である
思想的引継ぎは なにも 実の子供である必要なんて これっぽちもありはしないのだから
実の子供がバカなら 目も当てられないハメになる
(まぁ ついでだから子供をもうけて 保険の二段構えをするのも いっこうに悪くはない)

とりあえず ひとの一生はみぢかすぎる
ぼくは 20代前半は 「オレは120歳まで生きる」とよく言っていたが
20代後半のいま それでも人生の4分の1に来るには 速すぎた というのが正直な感想だ
いまとなっては 200歳くらいまで活きなければ なにもわからないだろう と暗澹たる気分である

一生ではみぢかすぎる 最低でも二・三生はさせてくださいw

※あれ?オレ、なにが書きたかったんだっけか? 話が人類とか飛躍しすぎw
こんな文章になる予定では・・・まぁ 思いつくままに書いたら こうグダるのは必至だわなw
とりあえず闇明けです
またこじれないよう(闇の状態では思考が飛躍しすぎw)に気をつけて ふだんの曲線に戻るといたしませうか
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by amnesiac7 | 2004-10-23 12:47 | 断想

断想_「自殺について」

12日、埼玉と神奈川で集団自殺の現場が発見された。自殺者は20~34歳の男女と若い。
カレらは、いったい何に「絶望」したのだろうか?

「絶望」するには、「夢」に対する「熱望」の存在が必要である。
カレらは、どんな「夢」を持ち、「絶望」したのか?
自らを死に至らしめるほどの「夢」、いったいどんな「自己の理想像」を思い描いていたのだろうか?

こういう自殺者が出るたびに、「自殺するヤツはナルシストだ」という言葉が思い出される。
夢や自分の理想像を持つことは、決して悪いことではない。「生」に対する重要なエネルギー源でもあるわけだから。
しかし、その夢に心が折れそうになったとき、夢に「殉死」するという選択は、いかがなものだろう。
夢とは、「生」に対するエネルギー源ではあるが、失われたからといって、それが「死」を意味するものではないはずだ。安直な逆説を元に絶望するのは、未熟な若さの特性である。

自らが思い描いた理想像に、心が折れそうになったときは、その夢を一度、口に発してみればよい。
夢とは得てして、言葉にすれば醒めるものである。
言葉にすることによって、右脳に過多していたその(夢の)処理に、左脳による冷静な「分析」が加えられる。醒めてみる夢
自分の描いていた理想像、その全体像、その夢の実現性、すべてを一度、醒めたその目で吟味するべきだ。その理想像の実現のためにいったい自分はなにをしたのか? だんだんバカらしくなってくること、受けあいである。

「自殺とは、より高次なる生への欲求である」と言ったのはダレだったか?
言い得て妙である。
こういった自殺者は、みな大きな理想像があったにちがいない。
しかし、設定する理想像が、いきなり高すぎてはいないか?
理想像を思い描き、それを達成していくひとたちというのは、みな目の前に「クリアできる」小ハードルを設定し、コツコツとそれを積み重ねてきたひとたちだ、ということを看過してはならない。
あなたたちは、果たしてその努力を自分に恥じないくらいしてきたのだろうか?
目標設定の仕方を知らないのは不幸だ。
よもやイチローが、才能だけでいきなりあれほどの境地に達したと思っているのではあるまいな?

人間は、愚かにも忘れやすい生き物だ。
一度、たまたま労せずして手に入れた幸運を、何もしなくてもまた手に入れることができると勘違いしてしまうことの、なんと多いことだろうか。
もし自分が報われないと思うのなら、世界に目を向けて考えばいい。
自分の住むこの国に戦争は起こっているか?
自分の五体は満足ではないのか?
生まれてきたという幸運すら忘れてはいまいか?
そして自分はどんな矮小(わいしょう)な夢に絶望しているのか、目を醒ましてもう一度、見ればよい。

人間は忘れやすい生き物だ。
しかし、それは愚かではあるが、天の恵みでもある。
絶望も時間によって流される。
歳を正確に重ねれば、絶望することにも絶望する日が必ずくるはずだ。
未熟さに対する絶望、それを成熟という。
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by amnesiac7 | 2004-10-14 12:24 | 断想

ロール・パーソナリティ

心理学用語でロール・パーソナリティというのがある。
「人間にはロール・パーソナリティというのがあります。ある役割を与えられると、その役割どおりの性格を演じることです。職業などの役割がどれほど性格の変化に影響を与えるものか、アメリカでは物議をかもした実験が行われました(『目からウロコの心理学の本』より)」
といったカンジの意味の用語である。

本日、21:00頃からTV大阪(TV東京系)で『es(エス)』という映画が放送される。
これは、アメリカはスタンフォード大学でP・G・ジンバルドー教授によって行われた、実際の実験を下敷きにして作られた映画である。

実験内容は、被験者(善良とされる若者)たちを模擬刑務所に入れ、看守役と囚人役に振り分け、どういった行動の変化が起こるかを観察する、といったものだった。
実験は真に迫るため、地元警察も協力し、実際に家にサイレンを鳴らしたパトカーが来て、囚人役を連行するといった、念の入れ様であった。

結果は、善良な市民だったはずの看守役は、囚人に当たり前のように暴行を加え、
囚人役も、心理的ショックからパニック状態となり、ホンモノの囚人のように卑屈になったりもするといった、観察側からすると驚くべき「成果」を得た。
もちろんコレらの実験は、問題となり、しっかりと報道されることとなった。
(映画で描かれているのはココまでだが、実はこの話には顛末がある。善良なはずだった若者たちは、この実験の精神的ショックにより、囚人役も、看守役も、この後、実際に多くの者が暴力的犯罪を犯し、逮捕されている。)

官僚的な人が役人になるというよりも、役人だから安心して官僚的になれるのです(前出の本と同じ引用)」

「政治家」という役割がある。いまでは「腐敗の元凶・寄生虫」といったがある。
ロール・パーソナリティとは、その職業が持つイメージに自分を合わそうとする心理的な働きであり、イメージに左右されることが大である。
「政治家」という職業をそろそろ無くさないか?
「政治家」という単語は、もう手の施しようもないほど、腐りきったイメージを持っているのだから。
いや、この際、政治家という職業自体を無くそうではないか!
すべての作業を専門職制に分けよう。
え?人件費がかさむって? いえいえ、日本はぶっちぎりに政治家・代議士の数がムダに多いんだから。
コイツらの数だけで、充分にまかなえるさ。

そうだ、この際だから「警察官」「教師」という名前もやめにしないか?(のちほど本文修正予定)
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by amnesiac7 | 2004-09-23 12:38 | 断想

断想_「人間の本質」

人間の本質
生活環境の暗転や アルコールの摂取などから現出されるもの
ボクはいままで それらをその人間の「本質」だと思っていた
でもどうやらこの見方はすこしまちがっていたようだ
正確にいえば これらはその人間の「強度」というべきだったかもしれない

いままでこの見方には不満だったのだが
この際 「本質」とは その人間が思い描いている「自画像」でもかまうまい
では いまボクが主張する「強度」とはなにか?

「強度」とは その人間が主張する自画像の輪郭を維持するための「柔軟性」である
「柔軟性」とは その人間がいままで積み重ねてきた経験による 「引き出しの融通性」のことをいう
「融通性」は その人間の「感受性」によって 大きく差が生まれる

まともな「感受性」を維持するためには こどもの頃のみならず おとなになった今でも すべての事象に対して 「惰性的」なものの見方をすることの危険性に留意すべき必要がある

感受性が どんどん麻痺していくような感覚に陥りやすい現在
本当にいろいろな角度から 「強く」すべての物事や事象を分析する必要がある

厳格な自己省察のできない人間は いわば「弱者」である
「本質」がどうであろうとも・・・ 
 
※この文章では「小乗」に重きをおいた感があるが 確固たる「小乗」なくして「大乗」をのぞむべくもないので とりあえず「小乗」話から・・・。「小乗」と「大乗」は一体である。
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by amnesiac7 | 2004-09-21 12:22 | 断想
b0006096_12551460.jpg< 事件から3年が経った現在、アメリカはどう変容したか >
ブッシュ政権にとって9・11は重大な天啓だった。
史上でも例を見ない低支持率でスタートしたこの政権(当たり前だ、盗んで手に入れた大統領の椅子だったんだから)にとって、9・11は正に福音を意味した。
愛国の名の下になら、すべての愚行は肯定されると。
泥棒ブッシュは、事件直後の愛国演説により、晴れてれっきとした選出制・軍事独裁国家の元首となれた。

大多数のひとは、不安に駆られると、みずから進んで人間としての尊厳を守る権利を捨てる。
「安全」という言葉を手に入れるためなら、どんな監視下にでも進んで入る。
事件直後のブッシュの急激な支持率の上昇を見れば、自明である。
では「不安」の正体とはなんだ?

NYでの犯罪の発生率は、年々、下降の傾向にある。
しかし、事件などのTVでの露出は毎年、急激に上昇している。
なぜ?
ひとを統制下に置くには、恐怖を植えつけるのがもっとも手っ取り早い。
恐怖に駆られれば、みんな庇護を受けるために、モロ手を振って自由を捨てる。
メディア・コントロール。
政府とは、どんな国でも常に国民を自分たちの統制下に起きたいものだ。
そして今から3年前の今日、長年、手間ヒマかけて行ってきたマス操作のハイライト、ビッグ・ボーナスがやってきた。9・11である。

9・11以後のアメリカ_人権もへったくれもあったものではない。

< 昨年はじめに提示されたテロ対策法「愛国法」の改定草案 >
・テロ組織を支援した米国人の市民権剥奪
・司法長官が脅威と感じた永住許可者の国外追放
DNA情報データベース(!)の構築を拒否した場合の罰金、収監
令状なしのインターネット、メール利用状況の監視
訴追されるまでのテロ容疑(単なる裁量)者の拘束情報の公表禁止_などなど

_素晴らしいピッチで国民を統制化に置いていっているじゃないかw
え?まだ改革「草案」だって? 
「草案」でもすでに全部施行していることの事後承諾みたいなもんだよ
9・11直後だけでも、拘束されたアラブ・イスラム系の米国人は数百人規模と見られているが、司法省はプラバシー保護を理由に公表を拒んでいる。
ただ食堂で、テロの実行犯に食事を出してしまったというだけで、5ヶ月間拘束されたひともいる(このひとはまだマシだ。まだ意味がわからないまでも拘束理由らしきものがある。大半のひとはアラブ・イスラム系というだけで拘束されたのだから。自由を求めてやってきたアメリカで)。
03年度、機密扱いにされた公文書は約1400万件にも上ると公表された(「オープン・ザ・ガバメント」発表)。

今日現在、ブッシュの支持率は、ケリーのそれを少し上回っているという報道がある(もちろんラムくんの会社による情報コントロールの功績でw)。

思想統制、DNAによる優劣差別、プライヴェートの喪失、ちょっとしたことでの市民権や生活基盤の剥奪、収監・・・アメリカの明るい未来は、すぐそこまで約束されつつある。
(※日本のけっこう多数のひとたちも、「ブッシュ政権なら儲かる。日本に有利」という理由から、ブッシュ政権の継続を公に支持しています。日本の未来も同じくらい明るいね)

※今回の文章は、きょうの朝日新聞朝刊からのインスパイア&引用されたものです。

d(^・ェ・^)「オススメてか、すこしは読め新書」(^・ェ・^)b
・9・11―アメリカに報復する資格はない!
・メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会
・アホでマヌケなアメリカ白人

ムーアのそれは、すこしばかりドラマチックにしすぎて「・・・」というときもあるけど、おチョムさんのは、歴然とした膨大な「事実」をダレにでも理解できる文章で列記してくれています。おそろしく読みやすく、わかりやすいので超オススメ!
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by amnesiac7 | 2004-09-11 13:54 | 断想