80年代
2006年 04月 26日
気づくと、最近なぜか「80年代」製のものを無性に探している自分がいる
小説、コミック、音楽・・・スマッシュ・ヒットしたようなモノは除くものの、
川のせせらぎのように確実にあの時代に流れていたもの
あの時代のいったいなにが、いまのボクにこれほどまで干渉してくるのだろうか?
80年代といえば、物心のついたボクが初めて過ごしきった10年セットである
見るものすべてが、ひとつの秩序であったし、それを疑うこころも、もちろんまだ持っていなかった
あの時代、ボクは眼を通して知覚していたもの、すべてを信じていたし、あの時代の「おとな」こそが、
ボクにとっての「おとな」の確実な像だった
時代からいっても、あの時期は日本が最も経済的にも安定しており、あくまでも比較的に
となるのだろうが、社会もいろんな面で寛容だったように思われる
秩序、秩序に対する抵抗、すべては強硬・過激とまでは至らず、もし争いが起こっても、
それらには予定調和的な決着が、ほぼ常に待っているかのようにも思っていた
ボク自身においても、葛藤やディレンマの内容はやはりたかが知れたものだったし、すべては
「解決」の待ち構えているハードルでしかなかったのではないだろうか
時代そのものを切り取ったものでなくても、80年代の「時代的感性」を内包している作品
これはいまのボクにとって、一種のトランキライザー的役割を果たし始めているようだ
たとえそこに「緊張」が存在するようなものであっても、けっして「過緊張」にまでは至らない
ゆるやかな空気に浸かる 休日の朝や睡眠前のひとときにほどよい安定をもたらしてくれる「80年代」
いまでは街を歩いていても、見えている風景の80年代の姿を想像する
すると自然、緊張がほどけて、ほほがゆるんでくるのだが、またふと我に返り、周囲の視線に緊張する
もちろんダレかから見咎められたわけでもないのだが、どうにも気の抜けないのが現在である00年代である
小説、コミック、音楽・・・スマッシュ・ヒットしたようなモノは除くものの、
川のせせらぎのように確実にあの時代に流れていたもの
あの時代のいったいなにが、いまのボクにこれほどまで干渉してくるのだろうか?
80年代といえば、物心のついたボクが初めて過ごしきった10年セットである
見るものすべてが、ひとつの秩序であったし、それを疑うこころも、もちろんまだ持っていなかった
あの時代、ボクは眼を通して知覚していたもの、すべてを信じていたし、あの時代の「おとな」こそが、
ボクにとっての「おとな」の確実な像だった
時代からいっても、あの時期は日本が最も経済的にも安定しており、あくまでも比較的に
となるのだろうが、社会もいろんな面で寛容だったように思われる
秩序、秩序に対する抵抗、すべては強硬・過激とまでは至らず、もし争いが起こっても、
それらには予定調和的な決着が、ほぼ常に待っているかのようにも思っていた
ボク自身においても、葛藤やディレンマの内容はやはりたかが知れたものだったし、すべては
「解決」の待ち構えているハードルでしかなかったのではないだろうか
時代そのものを切り取ったものでなくても、80年代の「時代的感性」を内包している作品
これはいまのボクにとって、一種のトランキライザー的役割を果たし始めているようだ
たとえそこに「緊張」が存在するようなものであっても、けっして「過緊張」にまでは至らない
ゆるやかな空気に浸かる 休日の朝や睡眠前のひとときにほどよい安定をもたらしてくれる「80年代」
いまでは街を歩いていても、見えている風景の80年代の姿を想像する
すると自然、緊張がほどけて、ほほがゆるんでくるのだが、またふと我に返り、周囲の視線に緊張する
もちろんダレかから見咎められたわけでもないのだが、どうにも気の抜けないのが現在である00年代である
by AMNESIac7
| 2006-04-26 21:38
| 雑記・雑感