逸脱せよ!


by amnesiac7
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時代的閉塞感

長崎・佐世保での小6女児同級生殺害事件の、加害児童への措置が決定された。
2年間の児童自立支援施設への送致だ。
しかし、なぜこんな事件が起こってしまったのだろうか?

< 加害女児の精神鑑定による人格特性 >
認知・情報処理特性
(1)対人的なことに注意が向きづらい特性
(2)物事を断片的にとらえる傾向
(3)抽象的なものを言語化することの不器用さ
(4)聴覚的な情報よりも視覚的な情報のほうが処理しやすい 
情緒的特性対人関係の特性については、コチラをごらんください
< 非行事実 >
女児は佐世保市の小学校六年に在籍、同級生の被害者=当時(12)=とは交換ノートやインターネット上でメールをやりとりするなどの交流をもっていたが、被害者が交換ノートやホームページに記した内容を見ているうちに、自分をばかにし批判しているように感じて立腹し、怒りを募らせた揚げ句、殺害しようと決意し、〇四年六月一日午後零時二十分ごろ、小学校三階学習ルームで、右手に持ったカッターナイフで被害者の頚部(けいぶ)などを切りつけ、間もなくその場で失血死させ殺害した。
< 主文 >
女児を児童自立支援施設に送致する。二〇〇四年九月十五日から二年間、強制的措置をとることができる。

_今回の長崎家裁佐世保支部の判定は、ボクも概ね妥当に思える。
今後、共感性の獲得から予想される、女児の他害・自傷の可能性も加味した上での判断というのが評価できる。

< 事件のきっかけとなった会話 >
HPの書き込みで殺意 加害女児が話す
彼女たちは、どうやらコミュニケーション・サイトのカフェスタにお互いHPを持っており、相互間で書き込みをしたようだが、事件の数日前には、被害児童からの前出の会話がきっかけとなり、加害児童によってそれらの記述は消されたようだ。
被害児童のHPには、トップページの以下の記述と、5月30日付の日記が残されていたのみである_
荒らしにアッタんダ。マァ大体ダレがやってるかヮわかるケド。
心当たりがあるならでてくればイイし。
ほっとけばいいや。ネ。
ミンナもこういう荒らしについて意見チョーダイv
じゃまた今度更新しようカナ。 (被害児童のHPトップ)
チッマタカヨ。
なんでアバターが無くなったりHPがもとにもどっちゃってるケド、ドーセアノ人がやっているんだろぅ。フフ。
アノ人もこりないねぇ。
(゜∀゜)ケケケ (5月30日の日記)
_この段階にいたっては、ふたりの交友関係の亀裂は決定的なものになっていたようだ。
交換ノートに関しても、被害児童の側から、直前に打ち切りを提案されている。

※コボれた話として、加害女児はルールやオリジナリティに厳しく、被害女児が自分の話し方などをネット上で模倣していたことなどにも腹を立てていた、というのがある。
しかし、これは被害女児としてはまるで悪意はなかったであろう。仲の良い友だち同士などでは、しぐさや話し方などが親密度に比例してシンクロしてくるものである。意図的であったにせよ、被害女児としては、加害女児となかよくなろうとしていた姿勢があったのであろうと思われる。

< 判決の下った9月15日に被害児童宛に書かれた父親の手記 >
全文
文面は亡くした娘に宛てた形式をとっているため、ダレかを中傷するのではなく、みんなに心を配った優しいものになっている。これからも子供たちに関わっていく、すべての大人へのメッセージでもある。
しかし、この中ですこし気になる件がある_
さっちゃん。今年はクリスマスを少し楽に迎えられそうだよ。君がこの3年間、サンタさんに「母さんの声をもう一度聞かせて」とお願いしていたから、父さんはちょっと困っていた。今はもう二人一緒だよね。今年は父さんが「二人の声をもう一度聞かせて」とお願いしてみようかな。
_最後の一文には、すこしばかりドキりとさせられた・・・。
被害遺族へのケアも、周囲はきっちりと注意を払ってほしい。まちがいが起きないように・・・。
彼は、妻だけでなく、最愛の娘まで失ってしまったのだから。

< 総括 >
事件の背景はだいたいこんな感じだ。
加害児童の人格の形成は、現段階ですこしばかり周囲の基準値の速度から遅れをとっていた。
しかし、この程度の遅れはすこしも珍しくはない。
実際に周囲の大人たちは、みな加害児童に対して「普通」という評価を与えていたのだから。
では、なぜこんなことになってしまったのか?
やはり、親子でのコミュニケーションの量とではないだろうか。
いま、大人も子供化の激しい時代にある。こどもに対しての大人としての責任よりも、子供と同等に自分の権利を主張し、甘えた大人が以前よりも確実に増えている。
先の見えない時代に対する閉塞感、ストレスから逃避するための、こどもに対する手抜きの精神が、こういったかわいそうな子供をこれからもどんどん増やしてしまうのではなかろうか。
大人としての最低限度の建前や義務を、大人は決して放棄してはならないということ。

※もちろん、自然にこどもたちと交流できるひとも多い。しかし、できないひとたちは出来ないなりにも努力しなければならない。決して「自分は無関係」みたいなバカにはならないということは、大人というよりも人間としての義務である。これをしないのなら、人間は単なる動物と同じである。

ヽ( ´¬`)ノそれにしても今日は頭が回んねぇやw 酸素が足りないのかな?
文章書いてる途中で、なに書こうとしてるのかグダグダになったや_| ̄|○
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by amnesiac7 | 2004-09-16 12:19 | ニュース