サッカーの本質と闘争の本質
2010年 06月 30日
「日本代表のサッカーはつまらない」などという人は、サッカーの本質を履き違えているとしか思えない(後藤健生)実力的に劣るチームでも、戦い方次第で格上を破ることができる。たしかにそれはサッカーの醍醐味のひとつだ。が、それを"サッカーの本質"というのは、志(こころざし)に問題が出てくる。
高みを目指す者は"実力"をつける必要がある。サッカー・ファンが、日本代表が実力で勝ち上がっていく姿を求めるのは当たり前の姿勢だ。そこに物足りなさを感じたら、はっきりと"つまらない"と言わなければ、誰のためにもならないのではないだろうか?
おもしろかったひとと、おもしろくなかったひとがいて、当たり前なのが世の中だ。
それは求めているものの高さの違いであり、"本質"もそれによって変動する。
このコラムニストは、「これでもう十分だよ」「日本代表は現状のままで構わない」と、低い限界値を現在の代表チームに見ているのと同じだということに、自身で気づけているのだろうか?
そもそも「世界を驚かせる」と言いながら、韓国戦惨敗後に壮行セレモニーを逃げて、川口に押し付けた監督を、本大会の幸運に支えられた結果だけで、手のひら返しでワッショイするマスコミ連中の方が、ボクは甚だ疑問だ。彼らこそ、さまざまな本質をはき違えた存在だと考えるのは、ボクだけだろうか?
【後藤健生コラム】日本代表のサッカーはアンチフットボールなのか?
by AMNESIac7
| 2010-06-30 19:28
| サッカー