逸脱せよ!


by amnesiac7
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カテゴリ:断想( 22 )

原因はボクにある

カノジョが風邪で休んだ原因は、おそらくボクにある。というか確定だな・・・。
ただ楽しいことにばかり気をとられ、体調を崩しやすいカノジョに対し、配慮が足りなかった。
ごめんね、また明日、元気な姿を見せてくれたらいいな。
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by AMNESIac7 | 2010-09-25 00:46 | 断想
この国における小児人口の減少傾向は、いまさら説明しなくとも、だれしもが周知のこと
さらに、それに反比例するかのごとく、小児を狙った性犯罪者数の増加傾向についても
だが「なぜ」、後者の数が飛躍的な増えを示しはじめたのか、というなかでの「社会的原因」についてはどうだろうか?(パーソナリティについての推量は、ここではほかのひとにまかせておく)

1.むかしから実際には、多数存在する犯罪であったものが、近年の社会環境の変化から、被害者の声が表出しやすくなった
2.「禁忌」概念の世俗的希薄化から、欲求を封じ込めてきたタガがゆるんだ

1.に関していえば、さらに法の網の目の細かさとも連動することなのだろうが、2.についてはどうだろう

①禁忌破りを取り扱ったメディアによる扇情の増加と、それらソフトの入手の容易化
②こどもたちの肉体的発育速度の欧米的進歩からくる性的アピール熟成期の早熟化(ペドフィリアに関していえば、もうひと段階うえの考証が必要だが)
③比率としては、さらに極端な減少傾向にある幼児の希少化からくる「早摘本能」の顕在化

従来からいわれている性犯罪者の精神未発達については、ここでは割愛し、①②に関しても、それなりに量的指摘が存在するので説なので、ここでは飛ばすものとする
で、ぼくが今回引っかかったのは、③の説である
「早摘本能」とは、性的傾向とはまた別の、飢餓感みたいなものからくる一種の自衛(自己遺伝子保存)、生存本能のことである(あくまでも今回、ぼく個人が提唱する説・見解であるが)

伝達遺伝子が年齢を重ねるごとに、すこしずつエラーを孕んでいく(遺伝子が壊れる)ことは、それなりに知られている説だと思う
男性の精子を例にあげると、20歳あたりからゆるやかな崩壊を示しはじめ、70歳を迎えるころには20%前後はエラーを出しているという(だったと思う)
これはなかなかに由々しき数字ではないだろうか
結論からいうと、遺伝子レヴェルだけの話でいえば、男女ともに種は早いうちに仕込め、ということ
(もちろん遺伝子の完璧性が、理想的なこどもの創造に直結するとは思わないが)
社会全体におけるこども生産(おもに結婚)の晩期化、それにともなう遺伝子レヴェルでの劣化
それを補うための(本能的なものとしての)幼児襲撃傾向の増加
これが今回、ぼくの脳内を巡った思考の変転の経路である
(時間にすればほんの2・3分 感覚の言語化、文章化のめんどくささの一例か)

一般諸説もけっこうな数、出揃ってきたきたと思うが、動物学的観点からの指摘については、まだすこしばかり足りていないような気がしていた
でもって、いつもどおりの「オチ」となるが、これらの諸説(今回ぼくが提示したものも含め)は、正解、不正解でいうと、ほとんど「すべて正解」なのではなんじゃないかなぁ、と考えている
逆にいうと、ひとつの説をもって「これがすべてだ」と断じるようなマネもぜったいに認めない
割合的差異はあれど、そういうこと
最大タブーである殺人でもなんでもそうだが、重大なルール破りというのは、複雑なもので当たり前
たったひとつの理由をもって、他者を傷つけるような「英雄的気ちがい」などというものは、実際には「架空の存在」近いともいえるだろう 
自己客観性を持てない「英雄気取り」なら、掃いて捨てるほど存在すると思うが、それこそ、その者たちの「口から出たものがすべて」と判断するのはまちがいである

今回のぼくの記事にしても、会話にすれば、おそらく(おもに面倒くささから)この3分の1以下に圧縮されてしまうだろうし、脳内の「感触」からすれば、それこそこの数十倍のものがうごめいているわけなのだから、単純に断じる、なんてことはできないのである

※殴り書きのメモからそのまま転載 修正は後日、気が向いたらやります(するわけないw)

あとカテゴリは「雑記」でもよかったのだが、量的にはけっこう中途半端にかさんだみたいなので、思い切って今回は、ひさびさに「断想」にぶち込んでみることにしました 以上
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by AMNESIac7 | 2006-09-24 18:15 | 断想

イメージ

おもしろい説を聞いた
肉体をトレーニングするとき、確固たるイメージを持ってトレーニングに励んだ者と、そうでない者とを比較すると、同じ練習量をこなしたとしても、まったく違うカラダが出来上がるという
理想の肉体を手に入れるには、まさに明確な「理想」を持って行動せよ、ということなのだろう

この説は、きわめて魅力的な説だ
もし、この理論が正式に認められるものなのならば、肉体にとどまらず、精神分野にも同じことが
いえるのではないか、と思われるからだ
柔軟性、弾力性のある精神の習得は、成人として、ぜひ手にいれておきたい
それには「そうあれねば」ではなく、「自分はそうなのだ」と心に何度も銘記していけばよい

肉体にしても、精神にしても、つね日ごろからの意識の集中は正直しんどい、やってられない、
というひともいるだろうが、これらは「習慣化」することによって十分に習得しうるものであると考えたい
「習慣化」とは、すなわち最低でも「2週間」の忍耐を必要とするものだが、その2週間という時を
経れば、そこからは勝手に習慣となり、あとは_である
最初の2週間の質が、のちの習慣に大きく作用するので、なんでも最低限、2週間は真剣に
取り組む必要がある これを超えれば、またあとは_であろう
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by AMNESIac7 | 2005-11-22 08:39 | 断想
このごろボクは、ひとつの思考の迷路のなかを彷徨っていた
大事な物事について考えないひと、考えたくないひとというのは、いったいどういった精神構造で
そうなってしまっているのか、と
しかもそれが、社会レヴェルでの気運であると、たいへんショックな宣告を受けてしまったため、
もうなにやら世の中すべてに暗澹たる気分を持ってしまうような気分だった
しかし、そこには以外な盲点があった

ボクは「考えないひと」について考えるとき、「考えないひと」についてだけに強くとらわれていた
そして、それらの理解しがたい構造とヤル気のなさに、こちらまですっかりと毒される気分だった
だが、このアプローチの仕方は根本的にまちがっていたのかもしれない

「考えるひと」、「考えないひと」を考えるとき、「考えないひと」について深く考えるよりも、
「考えるひと」というのが、なぜ考えるようになったのか、ということについてを考えるほうが
有意義なのではないだろうか、とひらめく
もうここまで来ると答えを導きだすための思索はカンタンになった
「考えるひと」という逆説的存在の考察を持って、「考えないひと」にアプローチする
これならば、ひとつのある程度は納得のいく一説に辿り着けそうである

「脳」というのは、結局つまるところ、「快感」を栄養として成長していくものである
一見、息のつまるような勉強や研究でも、それに対する「報い」、「評価」を受けることによって、
それらは一気に「報われた気分」となり、さらなる勉学へと加速する栄養素となる
思考をやめようとしないひとたちいうのは、こういった自分が支払った労力に対し、「正当な評価」を
受けた経験が少なからずあるひとたちなのではないだろうか
(もちろん、正当な評価を受けれていないひとのなかにも、「なにくそ、いつか見てろよ」という自家製の反骨精神で、日々、勉学にいそしんでいる素晴らしいひとの存在も認めないわけにはいかないだろう)

かんがみて「考えない」、「考えたくない」というひとたちとは、いったいどういったひとたちであるのか
逆説的論法を用いれば、あまりシンプルな答えで疑念も残るが、「認められた経験があまりないひと」
たちなのではないだろうか、と
こどものころから、ひとから正当な評価を受けれずに、考えることがだんだんとバカらしくなってしまった、あるいは思春期の折にでも、完全に公正から逸脱した論理で強く自分を否定された経験のあるひと、といったところなのではないだろうか
そういった経験は、思考を止めてしまうのに十分に値する要因となりえてしまう
なにを言っても否定され、なにを言っても評価されない、そうなってくると、もう「なにも考えない」
という選択を、自己防衛本能からも自然、半ば強制的にチョイスさせられてしまうだろう
ここまで想像してしまうと、現代社会の持つ構造上の病巣そのものに触れてしまった気になってきて、今度は怒りとは逆に、なんだか悲しい気分になってきた

すべてはあくまでもボクの想像、というか妄想の域のお話ではあるが、
ワケもなく、なにかを強く否定したり、なにかから必死に逃れようとする行動の心理は、
そういった経験の積み重ねから得てしまったフィード・バック的行動の一端なのかもしれない
逆方向からアプローチしてみたら、こんなひとつの答えがかえってきた
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by AMNESIac7 | 2005-09-14 18:11 | 断想
じ‐こ【自己】 (大辞泉より)
1 おのれ。自分。自身。「―を欺く」
2 哲学で、同一性を保持して存在するあるものそれ自身。人格的存在以外にも用いられる。他者。

どういつ‐せい【同一性】 (大辞泉より)
大辞林でも 「どういつせい」 を検索する
1 異なる事物が、その性質から見ると区別できないこと。
2 事物が時や場所を越えてそれ自身に同じであること。自己同一性。主体性。アイデンティティー。


自己認識における「自己」とはいったいどういったものなのだろうか
自己を辞書で引くと上記のような結果が出る
そして「同一性」をさらに調べると、ひとことで「自己同一性」、「主体性」と出てくる

このごろ、アイデンティティを語るとき、なぜか「ナショナリティ」を強く押し出すひとが増えている
こういうひとたちというのは、自己(自分)と国家が、異なるものではあるが、
性質はほとんどいっしょだから区別がつかない、ひとたちということなのだろうか?
ボクが国家で、国家がボク アイツはオレで、オレはオマエ?

「善」ということばを使うとき、「悪」という存在が生まれるように、
「自国」ということばを使うとき、同時に「他国」という存在が生まれる
なんのための線引きなのか? なんに対する防衛本能のはたらきなのだろうか?

弱い者ほど、防衛本能はきわめて高い
弱い者ほど、「正義」を主張する
自らの弱さの証明のような発言に、なぜか「誇り」すら感じているという輩がいる

ナチ以外は、みんなアカで非国民
わかりやすいけど、なんの内容物も入っていない


小乗すらもままならぬゆえ、大乗なんて知ったこっちゃない、てか?
自分の理解を逸脱したものだからといって、なんでもかんでもカンタンに否定するものじゃない
否定というのは、すべての可能性を試した上で、はじめてなせるものなのだから

むずかしいことだからこそ、敢えて挑む
それこそが、他の動物よりも高い知能を持ってしまった人間に与えられた使命のようなものなのだが、
やはり動物としての本能は、本能だけでなにも考えないにこしたことはない、と思ってしまうのだろうか
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by AMNESIac7 | 2005-09-13 16:46 | 断想

個別化と集団化

個別(孤独)化による集団化
恐怖を植えつけられることによって、ひとびとは二者択一を迫られる
そのまま水死させられるか、恭順してみんなで水死するか
はたして生存率はどちらが高いのだろうか
恐怖を生み出しているほんとうの犯人はダレだ?
(各国為政者たちによる自然相互補完的犯行がうたがわれる)

世界は、見るひとによってその姿を変える
とてもシンプルに見えているひとがいるかと思えば、
複雑怪奇、摩訶不思議に見えているひともいるだろう
ではなぜ、ボクはいまのこの世界を「こう」見るのだろうか?
それはボクの性癖が、世界をそう見せているからであり、
ボクがいまいる段階が「そう」だからであろう
学生時代は、けっこう無意識に(為政者からすれば)模範的右翼的傾向を持つ少年だったと思う
しかし、いまはさすがに「そのまま」ごとには留まれないほど、いろんなことを見聞きした
いまも低次元のままだが、とりあえず最低次元のからの脱出、
それなりの最低限の精神的進歩はあったのだろうとすこしだけ思っている

簡単なものに、慣れきったものにいつまでも浸かっているのは、
人間としての創造性と思考力に大きな枷(かせ)を与える
人間の生の本質は、創造と進歩であり、けっして破壊と退嬰(たいえい)ではない以上、
創造性と思考力を鈍磨させるようなものは、忌避する必要があるとボクは思っている
変わりつづける、変身しつづけてこそ、生を楽しめる
と、ボクの性癖はその方向を指し示す

最終的には、その人間の感覚というのは、その人間の「快」と「不快」の感覚に集約されている
ボクらの行動の原理は、なにかそうすることによって、社会的に、周囲のひとたちにとって良いことだと思うから、そう行動するのではなく、そう行動することが自分にとっての「快」、それが自分のバランス感覚だからこそ、そう行動するのだ
そのひとにとっての「善」「悪」の基準(これがそもそも馬鹿げた発想というものなのだが)、
なにを「快」とし、なにを「不快」とするかが、そのひとにとっての美意識の加減をあらわす

段階を踏んだら、いつまでもその踊り場で遊ばず、どんどん登りつづけよう
それがいまのボクの感覚
高く飛ぼう より難しいものに挑め
理想を追わずに、現実に自分を合わせるようになったら、
たちまちボクの主体性と自律性は失われてしまうだろう
主体性を失えば、それは自分の生とはいえなくなってしまうだろうから


こんなことを書いてるとボクが「左だ」、「非国民だ」といふひとたちがいる
たしかにボクは国家という単位には懐疑的で、
反国家的思想(しかしこれは通俗的な意味とはすこしちがう気もするが)を持っているであろうことは認めてもよいが、「左(コミュニスト)だ」といわれるのも心外といふものである
ボクはいわゆる集団忌避者であり、国家といふ単位もきらいだが、コミュニティという単位についてもやはりまたこれも懐疑的であるといふこと
ボクは、人間の無自覚・無意識の集団化といふものが、だいたいすべて不快なのだ
ボクにとっての人間の最小にして最大の単位とは、やはり「いち個人」なのである
ひととひととの付き合いは、集団的・特例的免除によって成り立つのではなく、あくまでも自律的な個々による有機的な交流によってなされるべきだと思っているからだ
ボクは、いわゆる仲間だからといって、わるいことをわるいと指摘できない、わるいところも許容してやらねばいけないような繋がりみたいなものが大キライだ
親しき仲にも礼儀あり
一期一会はすべてのひとに
が、ボクがボクの精神衛生上の「快」を守るスタンダードだと思っている
だいたいが不快な世の中だからといって、自分まで不快な役者を演じる必要はないといふこと


( ̄H ̄)モグモグ…メシも食い終わったので、ここいらでいつもの断想というか、連想を締めとしませうか
(あいかわらず文章が、思いつくまま、しゃべるようになのでまとまってまへんが、それもやはりいつもどおりの単なるひとりごと、そのときの気分のノートなので、読み手の方々もそのへん割り引いて見てやってくださいね(*- -)(*_ _)ペコリw)
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by AMNESIac7 | 2005-07-01 13:03 | 断想

境界線

いま住む世界
一線を越えたあとに住む世界
浮世の価値の希薄さは、境界線をも希薄にする
それは38度線やベルリンの壁などとはちがい
歩いて渡れる国境線

なぜ現在、殺人級の重犯罪ですら、毎日のように発生し続けるのか?
特に若年層による犯罪の増加は、年を追うごと、加速度的に悪化しているように思われる
よく「光の無い社会」などと気取ったことばを口にするひとたちがいるが、
それがなぜなのか、みんなに問いたい

「ことば」は大事だ 「ことば」には魂がある
ボクらは、日頃のそのあまりにもな使用頻度の高さから、
「ことば」が危険な道具であることを忘れがちだ
それは炎とかわらず、ボクらを暖めることもできるが、
使い方をまちがえば、ボクらを焼き尽くすことすらある取り扱いのむずかしい道具
本人にはその気がなくても、気づかぬうちに他人を焦がしていることも、ままである

先日、両親を殺害した少年は、父親からの蔑みと
母親がいつも忙しくて「死にたい 死にたい」といっていたのを犯行の動機にあげていた
一見、父親のとった行動が大きな要因になったようにも思えるが、
実のところ、母親のこの発言もやはり同程度のウエイトを占めていたのでないか、とボクは思う
本人からすれば、あくまでも口だけの愚痴であっても、
少年からすれば、そのことばは毎日聞くには堪えず、ほんとうに辛かったのではないだろうか
大人のいう「死にたい」が、「生きたい」の裏返しのことばだなんてのは、
まだ高1の少年には、なかなかに理解できうるものではないだろうから
大人が住む(見る)世界とこどもが住む(見る)世界とでは、相対的に大きな差があり、
こどもにとっては、やはり家という場所はあまりにも大きな世界である
その世界の大半が、慢性的に希望の持てないネガティヴなものだったとしたら、
多感な時期を迎えたこどもたちにとっては、耐え難い痛みとなるだろう
少年が母親を殺した動機は、大人からすれば理解しがたい利己的な行動であっても、
少年の持つするどい感受性からすれば、単純に利己的とはいいがたいのではないだろうか

いまの大人は平気でバカなことを口にする
ネガティヴで非建設的、希望も創造性もない腐ったことばを
先の暗い世界を 先の見えない自分の将来を 近くにいるこどもたちにも聴こえる声で
自分の非生産性を棚に上げ、ただただバカみたいに崩壊した「社会の道理」を語る
自分が目暗だからといって、ほかのひとに目を開けてもらうのではなく、
まわりが自分と揃うように周囲も自分といっしょの目暗にしたがる
「ことば」には魂がある 社会を腐らせているのが自分たちの吐く「ことば」が原因であるということを、
もうすこし大人は自覚しなければなるまい
いまこの国の社会は、盲人に先導されながら宛なく進む、滑稽なものとなりはじめている
ネガティヴで非建設的、希望も創造性もない腐ったことばしか吐けないような連中に引き連れられる
哀れな気病み

立派な大人 どうすればなれるのか?
「なろう」と思えば、それはなかなかにむずかしいことかもしれない
しかし、「なろう」とは思わずに「でいる」ならば、いつだってそれなりにはできるのではないだろうか
ボクらだってそれほど馬鹿じゃない
どういった人間が「立派な大人」といえるのかはある程度は理解しているはずだ
そして理解しているからこそ、そう「なる」のはむずかしい、と思うのだろう
だが、そう「演じる」くらいのことなら、一時的にでも可能なことでもないだろうか
その「立派な大人」像も、ある程度は理解しているのだから、それなりの演技をしてみせるくらいなら、それほどは問題もないはずだ
「立派な大人」なんてものは、もちろん突然なれるようなものではない
だから日々すこしずつでも試行錯誤しながら、自作自演していくほかない
まず近くにいるこどもたちをだまし、最後には自分もだまされるくらいまでいければ、
それはもう「それなりの大人」くらいになら、なれること受けあいである

いまこの国では、少子化も叫ばれてはいるが、
少大人化の問題のほうが、実は大きな問題なのではないだろうか、とボクは思っている
こどもたちに社会の愚痴をいう大人、こどもたちに先行きの暗さを説く大人、
大人がこどもにこどものように甘える
こどもがいなければ、やはり周りのこども大人に甘える
そんな世界を見て育つこどもたちに「自暴自棄になるな」なんていう権利が、
はたしてボクら大人と呼ばれるこどもたちにあるのだろうか
1億総こども化時代のいま、ボクら年長者は、嘘でも大人を演じなければならない
それが大人としての義務というものではないだろうか

嘘はつき続ければ、事実とはならなくても、直に真実にはなる
いまボクらの住む世界が、いままでついた嘘によって腐ってしまったのならば、
今度もまた嘘であっても希望の持てるような世界を作らなければ、
いまのこどもたちに不公平というものである
非生産的、非建設的なことばをボクらは追い出してしまう必要がある
世界とは常に希望の持てるものであるべきだし、またそうでなければいけないものだ


※そういや「ことば」について、なんか以前にもやった感があったと思っていたら、
カテゴリ[断想]の「ぶっちゃけと言霊」でもやってましたね なんか重複するところもあるけど、
いつも来ていただいている方は、「いつもどおり」ということでメンゴですw
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by AMNESIac7 | 2005-06-24 21:00 | 断想

生きる意味について

わたしはなぜ生きているのだろう?
おれはなにしに生きてるんだ?

これはなにも若者特有の悩みというわけではなく、
現在では、一般人のその多くが抱えている現代病ともいえるものになりつつある
生きるということの命題が視界からボヤけ、停滞の気運が立ちのぼる

もちろん、ただ生きている、というだけなら、その人間が生きている意味などありはしない
人間が「生きる」ということは、常に思考することをやめず、なにかを生産・創造し続けてこそ、
はじめて意味を成すことばであるからだ
ただ単純に有機物でありつづければ生きている、という考え方は、
人間の生理学的にも、あまり健全な状態とはいえないだろう

「生きる」ということは、目を開きつづけること
思考をやめないこと
なにかを求め、創造しつづけること
ぼくらは、ただ漫然と、このことについてあまり深く考えることが少ない
いつも、すでに持っているすこしばかりの(そう、あまりにも矮小な)知識と見識でしか、
世界を見ていない
おおよそが単なる経験の積分からくる反射のみでその生活をこなし、 
なにかを考えて行動している、とは、とてもじゃないが言いがたい状態だ
目を開け、思考することをやめない、ということは、なかなかに容易なことではないというかもしれない

目を閉じ、思考を閉じ、なにも生産せず、消費にのみ時間を費やす
これらの行為のどれかひとつでも習慣化されてしまうと、たちまちボクらは足元から腐りはじめ、
終いには、やはりあっという間に死体へと早変わりしてしまう
一箇所に立ち止まるということは、どんなところにいても、やはり危険だということだ
それでは、思考をやめないというのは、いったいどういうことをいうのだろうか?


( ̄H ̄)モグモグ…メシの合い間にタラタラ書いちゃった
気が向いたら、今夜ちゃんと書き足しますわ んでは、また~♪


(。・0・。)やっぱ集中切れちった~
小乗と大乗、ひとの大きさを決めるもの、の在り処みたいなの書こうかと思ってたけど、
切れたテンションで書くとダラダラ文になるだけなのでやんぴにしまふ
公案のこたえは宿題にするぜ~ぃ 良い答え見つけてね~
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by AMNESIac7 | 2005-06-07 13:02 | 断想
0:00 「1世代に最低でも1戦争が必要」という教義を持つ某カルト団体に名を連ねていた米大統領、主要閣僚、および支持財界人、そして前大統領選対立候補の民主党議員たちが、「すべてはギャグでした、ごめんなさい」と自らの頭を撃ち抜く
1:30 強力な後ろ盾をなくしたイスラエル政府は、これまでの2枚舌外交を改め、「紛争解決に精神誠意のかまえで努める」と表明 同時に現首相辞任
2:00 親友を失った日本の首相が、「これまでにやってきたのは保守派・旧勢力の解体ではなく、国家の解体だった すべては詭弁とまやかしである」と記者団の前で述べる 同時に内閣総辞職を宣言する
3:00~ アメリカやヨーロッパ諸国などによる間接統治を受けていた国々が、次々と自治権の奪還を表明 反対する国もなく、順次、国連により承認されていく
4:00 アフリカ各地で行われていた内戦に次々と停戦宣言が出される 「われわれが争い合う理由は、本来われわれが所有するものではない」
5:00 日中韓でその所有権を争っていたガス田、油田を両国で共同保有する方向で話し合うことが相互間から提案される これに伴い、各国でなされていた歪んだ歴史教育の全面的見直しも行うことで合意 各国の歴史から抽象的な真実の部分を削ぎ落とされ、事実の集積に努める方向が生まれる
8:30 国連本部の壇上にて、「神とは磨かれた心に宿るのも 磨くべきは自らの心であり、偶像を崇拝することをいうではない 磨かれた魂は何者にも干渉するものではなく、ただ超然とそこに存在するものだ ひとはひとに対する過干渉をやめ、もう一度、真摯に自らを見つめなおすべき時期にきている 神とは心の在様をいう」と一少年が演説 これに誘発され、世界各地でグローヴァリズムについての再検証の討論が行われる
10:00 世界各地でいっせいにブランドロゴの撤去というムーヴメントが巻き起こる 「際限のない資本主義競争に歯止めをかけるべきだ」と
                            ~
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ある世界におけるきょうの午前中のニュースです
いわゆる現在に並列して進行する別の世界、パラレルワールドというところのひとつの世界からのニュースです
分岐点は常にどの瞬間にも存在し、どれがあるべき世界というわけでもありませんが、こういったニュースがいまこの瞬間にも流れる世界が存在しても別に問題はないはずです
ボクらは、ボクらの住む世界が数ある世界の中でも最悪の世界であることを理解しなくてはいけません
もっと最低な世界を想像(造)するよりも、いまある世界の悪いところをしっかりと見つめ、みんなに心地のよい、他人のこころを侵犯しない、ほんとうの意味での自由な世界のことを考えるべきです
夢想でも、現実味がなくても、そういった世界のことはみんなが考えるべきだし、考えなければ生まれもしません
最悪の世界の住民であるボクらも、もっとマシな世界を夢見る権利くらいはあるはずだ
どの世界が現実かなんてダレにも決められはしないし、決めさせもしない
ボクらがいま生きている世界が単なる悪夢である可能性も充分にあるのだから
いつボクらは、この空虚な夢から解放されるのか?
みんながそれぞれ、こころを磨くしかあるまい

※エイプリルフール企画です こんなニュースが流れる世界があったってわるくはないでしょう
パラレルワールドのエイプリルフールとは、こういうことを考える日であっても不思議ではないわけだしw
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by AMNESIac7 | 2005-04-01 15:51 | 断想
当ブログを閲覧されている一部の方々への疑問_

ブログとは、新聞やTVなどのマスメディアと並列して捉えなければならないものなのであろうか?
最近、記事に対するコメントなどを見ていて、しばしば考えさせられる
新聞やTVといったものならば、ある程度、本人のその意思とは関係なく、日常、目に飛び込んでくることが多い
チャンネルを回したり、街を歩いていて、ふと見出しが目に入ったり・・・
しかしブログの閲覧は、当人の意思にほぼ委ねられている
見たくないもの、見る気の起こらないものを目に入れない これは至極簡単なことのはずだ
ボクの書く記事を不愉快だというひとがいる そう感じるのは一向に個人の自由である
だが不愉快というひとは、何のためにわざわざこのブログを見にくるのであろうか?
もちろんボクがわざわざ宣言するまでもなく、このブログには、マスメディアのような大きな影響力もなければ、伝播力もありはしない
全くもって取るに足りない一個人の声ではないのか?
このブログで書かれている社会的な属性の記事は、主義や思想といった仰々しいものではなく、単なる思考・私見の擬似内証行為の記録でしかないのだから

そのそもブログとは、気の知れるなんとなく趣味の近しい連中が集まって、勝手にワイワイできる息抜き代替コミュニティではなかったのか
たまたま不可抗力で迷い込んでしまい、ついでに反対コメントを書き込んでいくのは十分に理解できることだが、接点がないことを解っていながらも、幾度となく訪問される方というのは、いったいどう行った心理で毎度訪れられるのであろうか?
よもや、他人の思考にまで口を出さずにはおられないアメリカ政府のような、秩序の検閲官気取りだとでもいうのであるまい?
ボクは本人的にはバランス志向者、世間一般でいえば天邪鬼な性格であり、社会が右といえば左を向き、左といえば右を向くというような男だ
ボクの書く記事を左翼的だというひともいるが(左翼と断定するひとすらいるがw)、もしそう映っているとしたら、それはボクの皮膚感覚が世間を片側(右)傾化していると捉えており、その反証的意見の提示が左翼的に見えるのだろう
本人としては左翼的なつもりはさっぱりなく、次に世間が左傾化する兆しがあるというのならば、今度は右翼的に映る発言をおそらくするだろう
ボク自身は単なるバランサーのつもりであったりするということだ 
(詳しくは前記事のコメント欄で述べているとおりです 起き抜けのカキコなので文章力は「?」だが)
何人の介入も許さないが、何人への介入も望まない 
いわば一匹狼というのが、おそらくボクなのだろう

この国を愛し、繁栄を願う心には、いろいろな種類のアプローチが個人個人にある
よもや自らが住む国の繁栄を願わない者がいるであろうか?
だが、繁栄の理想像の在様もやはり、個々人大きくちがっているらしい
ボクが望む理想像は、ダレも切り捨てられることなく過ごせる社会だ
それは右翼や左翼と呼ばれる極端なひとびとも「全て入れての社会」である
ダレかを切り捨てて突き進む社会 簡単な発想にはボクは賛同しかねる ただそれだけのこと
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by amnesiac7 | 2005-01-21 18:11 | 断想