何に対する反応として?
2008年 04月 13日
< 愛国心「強い」過去最高の57% >
先日、鈴木邦男さんの『失敗の愛国心』を拝読した
鈴木さんは、かつて行動右翼の大物と目されていた方だが、真剣に命がけで「考え抜いてきた」ひとのことばは、いま世間で声高に叫ばれているエセ愛国心とは、かけ離れたものだった
さて、今回の「愛国心が高まっている」という調査結果は、いったい何によって生まれたものなのか?
「愛国」というものの概念は、ボクの感覚においては「線引き」を意味する
「内」を強調することによって、「外」を明確にする
なんのために「外」を強調しなければならないのか?
昨今、過剰なまでに近隣の中韓北を誹謗する報道が連日のようになされている
もちろん、事実に基づくものがほとんどなのだろうが、客観的に淡々と「事実」を述べるのではなく、感情的に情熱を持って「真実」を煽っているコメンテーターが多すぎる
この割合が作為的なものでないとしたら、この国のマスメディアにはまともなコメンテーターが全くの不在であることを意味するわけだが、どうにも疑念を抱かずにはいられないほど、感情的すぎるし、扇動的すぎるな、というのがボクの実感だ(まともなのはNHKくらい?)
早い話が、今回の「愛国心」の指数上昇は、おそらく「国を(純粋に)愛する気持ち」の向上からなどではなく、「外敵」に対する拒否反応からの高まり、というのがボクの見立てというわけだ
過剰な防衛心が攻撃性を高めたりするのと、よく似ているな、と
その証拠に「悪い方向に向かっている分野」における「国の財政」という項目が、たったの37.5%だというのが、全体の本来の気質=陽気さを感じさせられ、鼻で笑ってしまうわけだ(そして暗澹)
もう、全部疑うべき時代だ
陽気にぼんやり流されてたら、とんでもないところに漂着するハメになるだろう
外の敵よりも、まず内側からの崩壊の方が、本気で見つめなければならない、この国の状態のはずなのだから・・・外部への批判よりもまず「自律」からだよ
追記:今回の指数は、陽気な時代のそれとはかけ離れている
なにが良い、悪いではなく、「バランス」として不安を抱かずにはいられない時代ということ
先日、鈴木邦男さんの『失敗の愛国心』を拝読した
鈴木さんは、かつて行動右翼の大物と目されていた方だが、真剣に命がけで「考え抜いてきた」ひとのことばは、いま世間で声高に叫ばれているエセ愛国心とは、かけ離れたものだった
さて、今回の「愛国心が高まっている」という調査結果は、いったい何によって生まれたものなのか?
「愛国」というものの概念は、ボクの感覚においては「線引き」を意味する
「内」を強調することによって、「外」を明確にする
なんのために「外」を強調しなければならないのか?
昨今、過剰なまでに近隣の中韓北を誹謗する報道が連日のようになされている
もちろん、事実に基づくものがほとんどなのだろうが、客観的に淡々と「事実」を述べるのではなく、感情的に情熱を持って「真実」を煽っているコメンテーターが多すぎる
この割合が作為的なものでないとしたら、この国のマスメディアにはまともなコメンテーターが全くの不在であることを意味するわけだが、どうにも疑念を抱かずにはいられないほど、感情的すぎるし、扇動的すぎるな、というのがボクの実感だ(まともなのはNHKくらい?)
早い話が、今回の「愛国心」の指数上昇は、おそらく「国を(純粋に)愛する気持ち」の向上からなどではなく、「外敵」に対する拒否反応からの高まり、というのがボクの見立てというわけだ
過剰な防衛心が攻撃性を高めたりするのと、よく似ているな、と
その証拠に「悪い方向に向かっている分野」における「国の財政」という項目が、たったの37.5%だというのが、全体の本来の気質=陽気さを感じさせられ、鼻で笑ってしまうわけだ(そして暗澹)
もう、全部疑うべき時代だ
陽気にぼんやり流されてたら、とんでもないところに漂着するハメになるだろう
外の敵よりも、まず内側からの崩壊の方が、本気で見つめなければならない、この国の状態のはずなのだから・・・外部への批判よりもまず「自律」からだよ
追記:今回の指数は、陽気な時代のそれとはかけ離れている
なにが良い、悪いではなく、「バランス」として不安を抱かずにはいられない時代ということ
by AMNESIac7
| 2008-04-13 00:00
| ケイオス-フィリア