逸脱せよ!


by amnesiac7
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太田総理と討論下手な日本人(&確信犯のアメリカン)

まだ数度見ただけだが、『太田光の私が総理大臣になったら』という番組がおもしろい
『ここが変だよ日本人』以来のバラエティ系討論番組だが、ホストがうやむや主義のたけしとはちがい、
本人みずからが問題提起する太田であるこの番組のほうが、ボクには数段見ごたえがある
ただ、どういった討論番組でもそうなのだが、なにゆえにこの国に住む人間というのは、これほど討論というものがヘタなのか、というのは、もちろんこの番組でも感じるディレンマである

そもそも「討論」というもの自体に、ボクはすくなからず疑問を持っている
「自論と自論をぶつけあって相手を論破する」ことこそを「討論」と思っている人間が、多数を占めるからである
本来、持論と持論を提出しあい、「よい点・わるい点を検証していく」ことこそが、他者とのコミュニケーションというものなのだが、どうにもこうにも「自分の意見こそが正しい」、と躍起になって大声を張り上げる人間のなんと多いことか
「会話における大声とは根拠の薄弱さを意味する」ということを、いったい幾人が自覚しているのか、見ていて不愉快になることがなはだしい

きょうの番組、太田が提起した「少年犯罪の報道を禁止する」という議題についても、なぜ太田が、そういった
極端な案を提起したのか、その「意図」についてまったく考えない論客のなんと多かったことか、である
特にこういった傾向は、一般にいう「男脳」型の人間に多くみられ、「議題」と「主題」をごっちゃにし、結局はなんら発展性を持たない「討論」をしでかしてしまうというわけだ
こういったとき、「女脳」を持つ人間というのは、ある程度、並列的に物事を考えることができるのに対し、「男脳」型は、「(ひとつのことだけを)合っているか、まちがっているか」に終始してしまう
そして、ざんねんなことに、この国でメディアに出てくる自称論客たちというのは、男脳型が大半である
シロかクロか、の二元論は、見ている側に(実質は「わかった気になる」、ただそれだけのことなのだが)
たいへんわかりやすく、自然、露出が増えてしまうのだろうが、「わかりやすい」のと「意味がある」というのは、けっして同意語ではないということを、もうすこし受け手側も考えるべきだろう

「熱血教師を禁止する」の討論中、太田がたとえにピカソの『泣く女』を見て感動したという話を出したとき、ただキョトンとしてしまった論客がほとんどだった これも意図せず、論客の脳型をあらわすリトマス試験紙となってしまったわけだが、結果としては、「(実質的意味を持つ)討論には向かない」人間が大半であったことを証明する反応であった せめてニュアンスでも掴めない論客は、「極端な脳」の持ち主であり、事務処理官あたりが適職というものだろう
すくなくとも太田は、「意図的」に仕掛け、「意味」のある討論をやろうとしている
その意図を汲まずに、「ただただ自分の持論が_」では、それこそ論「客」としては落第であり、不必要
相手の話を論破するのではなく、聴く(その意図を考える)ことから、まずはじめてほしいものだ
「討論」とは、その先にはじめて生まれるルールのある問題提起なのだから
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by AMNESIac7 | 2006-05-12 21:38 | オススメなのか?