逸脱せよ!


by amnesiac7
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以前に書いたと思われるメモ

年齢的成熟と退化

成熟と退化_ふたつの内、「成熟」に関しては、それなりの素材と環境が必要だが、
「退化」のほうに関しては、ざんねんながら例外なく、万人に訪れる

脳は、使わなければ、どんどんと退化する仕組みになっている
これは、年齢に関わらずの現象であるが、若年のうちに退化する者が少ない理由は、
刺激に対する「新鮮な感覚」が寄与するところが大きいためだ
刺激に対する感受性、感応性がほぼむき出しの状態にあり、いやが上にも大きな刺激を受け、
脳が高速に回転し、どんどん活性、深化へと向かうからである
しかし、年齢とともに感覚は、経験や体験というフィルターなどによって、「生」であることを失い、
「単純化」「簡略化」された処理を行うようになり、やがて目づまりを起こし、なにも見えなくなる
これがいわゆる「知的衰弱」という状態である

知的衰弱の問題点は、知覚の衰弱により、自らの衰弱すらも知覚できなくなることにある
衰弱が知覚できないために、自らにふりかかる問題を問題として自覚できず、ただ漠然とした閉塞感と
いう触覚のみが心身を支配し、遅かれ早かれの崩壊に至る
一度衰弱してしまった知覚を、もう一度呼びさます方法は果たしてないのだろうか?

衰弱した知覚は、衰弱したからといって、消滅したというわけではない
あまりにも偏った、一方向的な使用を繰り返し続けてきたために、機能性を失ってしまったという
だけのことである
それならば、新しい方向から、また「新たな知覚・視点」を増設してやればいいということ
一方向にだけ流れ込んでいた情報が、分化されることによって、双方向に流れ出す
双方向に流れることにより、一度ふさがってしまっていた知覚ももういちど活性化され、
また流れ出すようになるかもしれない 2分化でダメなら3分化、3分化でダメなら・・・である
それでも蘇らない知覚ならば、「蘇らせる必要のない、分不相応な知覚」だったと思えばよい
肝心なのは、目づまりの起こしていない新鮮な知覚を持ち続けることなのだから
人間も世界も、時間とともに変わり続けるものなのだから、腐らずに生きろ、である

「成熟」のための「環境」_「環境」をまちがえば、「退化」のみがすすむ
衰弱者にずっと囲まれ続けていれば、覚醒している人間も自然、引きずられ、衰弱する
ひとつの場所に立ち止まり続けること 
益と不益を計算し、益のほうが少なければ、早々に立ち去るがよいに決まっている
が、多くの人間はざんねんながら愚かにも無感覚な定着をよしとしてしまいがちだ
変化こそが「成熟」へのカギであり、「生きる」ということであることを強くこころに銘記せねばなるまい
まわりが衰弱者だからといって、自分までそうなる必要はまったくない
衰弱者をもういちど覚醒させてやる気でもあるのなら別だが、そうじゃないならさっさと自分から
立ち去るのが、人間としての礼儀というものである

_すべては視点の持ち様、ということの話
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by AMNESIac7 | 2005-11-14 08:55 | 雑記・雑感