逸脱せよ!


by amnesiac7
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歴史「教科書」と歴史「物語」との混同

乙武くんの記事「複眼的な視点」を読んでのボクの感想など_

歴史教科書問題に関しては、いままでも何度か記事にしてきたことなので、
今回は、ほんのすこしだけポイントだけを指摘しておく

義務教育で歴史を教科として学ぶ場合、そこで学ばれるべき歴史とは、
「真実」を列記したものではなく、「事実」が列記されたものがのぞましい
「真実」とは、視点、それこそひとの数だけの真実があり、どれが正解と断定できるものではないからだ
まず最初に学ぶべき基礎というのは、やはり正確性の高い「事実」を大前提として採用すべきであろう

つくる会の教科書がたびたび問題とされるのは、これもやはり真実的領域の記載が多分に含まれているためだろう
「真実」というのは、いわゆる個人ないしは一集団の「私見」の域を出ず、それはほとんど「物語」にすら近い性質をもつ 
これは他方の見解からすれば、ほとんど架空のフィクションに似つかわしいようなものにすらなりうる

扶桑社の造る歴史とは、いわば内向きの文学とほとんど同じに感じる
真実的領域の話を堂々と語るその姿勢は、道徳の分野にも野心を持つ越権行為にすら映る
物語的な歴史は、義務教育とそれに類する基礎教育には相応しくない

内向きにせよ、外向きにせよ、こういったオナニー(過剰な自己肯定の文学)教育は自己責任のもてる大学生くらいになってから、やりたいやつらだけが受ければいい
選択権もなにもなく、集団的オナニー感を押し付けられるのは、そのあとの性向にも悪影響を与えるので、控えてもらいたいものだ

ほんとうに歴史を教科として教えたいのならば、どこまでも「事実の列記」をのみ重ねたものが、最も望ましいとボクは思う
「こういった理由で~」などという無理やりな理由付け(そもそも当人でもないくせに、歴史家が断定的に理由を述べるという行為は滑稽としかいいようがない)は基礎教育には必要ない
判断は授業を受けた個人に委ねればいい
(それこそ生徒同士で、ああだ、こうだ、と議論すれば、授業も盛り上がるのではないだろうか 世の中、なんでもかんでも断定的に不可侵領域に勝手な解釈を付け足したがるバカが多すぎる)
もし、数値に異議があるのならば、どの教科書でも「この事件に関しては○○人説や○○万人説」などがあるなどと、併記すればことすむ話である

戦争には、戦争に走った理由を学ぶのではなく、どこの国がなにをしたのか、これがすべてだと思う
志しは高いがなにもしなかった人間と、
腹のなかは真っ黒なヤツだったが、やったことは生涯通して素晴らしかった人間がいて、
どちらを評価するのかといったとき、真実的領域で語ってしまうと、前者のほうが偉大だ、なんていうバカが出てくる可能性すらあるからね
人間はやったこと、「事実」でもって評価するのが妥当であり、公正というものだ
真実的評価によって事実を歪める行為は、社会的にいえば悪ですらある、とボクは思っている
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by AMNESIac7 | 2005-09-01 21:01 | 雑記・雑感