逸脱せよ!


by amnesiac7
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個別化と集団化

個別(孤独)化による集団化
恐怖を植えつけられることによって、ひとびとは二者択一を迫られる
そのまま水死させられるか、恭順してみんなで水死するか
はたして生存率はどちらが高いのだろうか
恐怖を生み出しているほんとうの犯人はダレだ?
(各国為政者たちによる自然相互補完的犯行がうたがわれる)

世界は、見るひとによってその姿を変える
とてもシンプルに見えているひとがいるかと思えば、
複雑怪奇、摩訶不思議に見えているひともいるだろう
ではなぜ、ボクはいまのこの世界を「こう」見るのだろうか?
それはボクの性癖が、世界をそう見せているからであり、
ボクがいまいる段階が「そう」だからであろう
学生時代は、けっこう無意識に(為政者からすれば)模範的右翼的傾向を持つ少年だったと思う
しかし、いまはさすがに「そのまま」ごとには留まれないほど、いろんなことを見聞きした
いまも低次元のままだが、とりあえず最低次元のからの脱出、
それなりの最低限の精神的進歩はあったのだろうとすこしだけ思っている

簡単なものに、慣れきったものにいつまでも浸かっているのは、
人間としての創造性と思考力に大きな枷(かせ)を与える
人間の生の本質は、創造と進歩であり、けっして破壊と退嬰(たいえい)ではない以上、
創造性と思考力を鈍磨させるようなものは、忌避する必要があるとボクは思っている
変わりつづける、変身しつづけてこそ、生を楽しめる
と、ボクの性癖はその方向を指し示す

最終的には、その人間の感覚というのは、その人間の「快」と「不快」の感覚に集約されている
ボクらの行動の原理は、なにかそうすることによって、社会的に、周囲のひとたちにとって良いことだと思うから、そう行動するのではなく、そう行動することが自分にとっての「快」、それが自分のバランス感覚だからこそ、そう行動するのだ
そのひとにとっての「善」「悪」の基準(これがそもそも馬鹿げた発想というものなのだが)、
なにを「快」とし、なにを「不快」とするかが、そのひとにとっての美意識の加減をあらわす

段階を踏んだら、いつまでもその踊り場で遊ばず、どんどん登りつづけよう
それがいまのボクの感覚
高く飛ぼう より難しいものに挑め
理想を追わずに、現実に自分を合わせるようになったら、
たちまちボクの主体性と自律性は失われてしまうだろう
主体性を失えば、それは自分の生とはいえなくなってしまうだろうから


こんなことを書いてるとボクが「左だ」、「非国民だ」といふひとたちがいる
たしかにボクは国家という単位には懐疑的で、
反国家的思想(しかしこれは通俗的な意味とはすこしちがう気もするが)を持っているであろうことは認めてもよいが、「左(コミュニスト)だ」といわれるのも心外といふものである
ボクはいわゆる集団忌避者であり、国家といふ単位もきらいだが、コミュニティという単位についてもやはりまたこれも懐疑的であるといふこと
ボクは、人間の無自覚・無意識の集団化といふものが、だいたいすべて不快なのだ
ボクにとっての人間の最小にして最大の単位とは、やはり「いち個人」なのである
ひととひととの付き合いは、集団的・特例的免除によって成り立つのではなく、あくまでも自律的な個々による有機的な交流によってなされるべきだと思っているからだ
ボクは、いわゆる仲間だからといって、わるいことをわるいと指摘できない、わるいところも許容してやらねばいけないような繋がりみたいなものが大キライだ
親しき仲にも礼儀あり
一期一会はすべてのひとに
が、ボクがボクの精神衛生上の「快」を守るスタンダードだと思っている
だいたいが不快な世の中だからといって、自分まで不快な役者を演じる必要はないといふこと


( ̄H ̄)モグモグ…メシも食い終わったので、ここいらでいつもの断想というか、連想を締めとしませうか
(あいかわらず文章が、思いつくまま、しゃべるようになのでまとまってまへんが、それもやはりいつもどおりの単なるひとりごと、そのときの気分のノートなので、読み手の方々もそのへん割り引いて見てやってくださいね(*- -)(*_ _)ペコリw)
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by AMNESIac7 | 2005-07-01 13:03 | 断想