逸脱せよ!


by amnesiac7
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

評価対象

世界には、さまざまな価値観があり、それに伴う評価が存在する。
ボクが首をかしげたくなるのは、ボクにとって無価値とも思えるものが、社会ではひどく評価され、ボクにとって有益と思えるものが、社会ではあまり評価されなかったりするところだ(ここまでは、ごく健全)。
ボクは自分の判断を、いつだって是として生きている。これはおそらく一生揺らぐことのないことだ。
自分で考えて、自分の感性を信じ、自分独自の評価を加える。
ボクが、世間的に高く評価されているものを同じく評価したとしても、それはおそらく少し違うアングルからの評価がほとんどで、迎合的意味合いはゼロに等しいはずだ。
だけど、こんなモノの見方をして生きている人間というのは、いったいどのくらいいるのかと最近、不安になることが多くなってきた。
それは孤独感からくる不安ではなく、危機感であることがもっぱらで、「評価されているものだけが評価される社会」という悪夢を予感(実感)させられるからである。
評価に対する右に倣え。だれかが歯切れいい口火を切れば、それにいっせいに乗るという社会構造。
そこでは内容よりも、「扇情性」がいちばんのファクターとなる。デマゴーグ社会の到来だ。
たとえば「フレーズ」の耳触りが良ければ、それはほぼ内容に匹敵するという思想にも近い。
先日、「これは深いから」とすすめられた作品。まったく内容がなかったが、とても扇情的だった。
まるで浦沢直樹を思わせる(もう騙されないぞ)過剰な演出。重いテーマを扱っているフリをしながら、肝心なところはボカしたまま(登場人物をどんどんと殺して、片付ける=テーマ放置)。
「これの何が深いのですか?」と問いたくなり、ネットで調べてみると、やはり世間的にも「深い」らしい。
浅すぎる描写が、重そうな演出により、誤魔化される。重層的なのは常に演出技法のみだ。
問いと、問いとの付き合い方。昇華はどこに消えるのか?(クリエイターのなかで)
そろそろ「映像」から、いったん離れるべき時期にさしかかっているのだろうか?
世の中がボクに倣う必要はまったくない。だが、評価基準くらいは独自で持つべきだ。

一般諸氏から鋭い言葉を耳にすることが、まったくなくなってきている。
ことばすら、セリフであり、ほとんどが借り物、まがい物。
何もしゃべらない方が幾分かはマシだよ、ほんとに。
[PR]
by AMNESIac7 | 2010-07-19 23:08 | 雑記・雑感