逸脱せよ!


by amnesiac7
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ことばの力は、まなざしに劣るのか?

最近、ことばの力への信頼が揺らいできている。
いや厳密には、ことばの精度に対するリスペクトが欠けてきている、というべきか。
ことばは、それだけでは無意味なのだ。
行間を埋めるための空中を浮遊するエネルギー。こちらの方が、より重要なのではないのか、と。
見つめる。じっくりと。まるでそこに愛でもあるかのようなフリをして。
ことばを発する。断片的に。無限の解釈を可能とするような。
ひとは見たいようにしか、ひとを見ない。
なら、ことばの精度を高めるよりも、見られ方を意識した方が有効だ。
それは、たとえ文章であろうとも付きまとう問題だ。見知った者同士においては(一方向的でも)。
政治家は、よく有権者と握手をする。両手を使って。
ボクも極力、相手に触れるようにする。異性なら、なおのこと。
相手の心拍数が上がる。ことばは実体以上に染みこみ易くなる。
両目を見つめる。さらに心拍は高まる。そして、なにか緊張を解く冗談をいう。
魅力といわれているものは存外、技術的なものなのである。やってみればわかる。
ボクは、ある人間のマネをしているだけだ。ボクをやきもきさせ続けたあの娘の。
検証を行い、分析結果にも、ほぼ満足のいく解答を得た。むごいほどの。

それでもボクは、ことばが好きだ。それは生涯変わらないことかもしれない。
だけど、アングルは変質する。現在は、音律に対する興味が尽きない。
美しいことばは、それだけで律動しうる。が、そこに音域と環境が加われば、爆発も起こしうる。
否、人間が放つ動作も、すべてがことばだと意識すべきか。ことばには無限の調理法が存在する。
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by AMNESIac7 | 2010-07-04 23:55 | 雑記・雑感