逸脱せよ!


by amnesiac7
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通過儀礼としての信頼破棄

「信じてたのに裏切られた」
ボクの中では「信じる」と「裏切る」は、切り離されたことばだ。
こどもが生きていくうえで、親などを信じるというのは生活上、不可欠なのかもしれないが、社会化された人間として「信じる」という言葉を平然と使うのは、危険性を伴う感覚だ。
「信じる」は「判断」を奪う。そのときどきの。
「信じる」は「責任放棄」を謳う。

「悪気はなかった」
これも平然と使われることばだ。
「悪気がない」という言葉には、その対象への「無配慮」という悪意にも似た成分が介在する。
無配慮・無関心が、この世界の悪意の最も重要な根幹となっているのに、無感覚にその言葉を使う者が後を断たない。
こどもは「未知」に対する畏れを持つが、おとなの多くはそれに対して「麻痺」で対抗しようとする。

いい歳こいて、「信じる」「悪気はない」などを平気で使う人間というのは、すでに退化、老いへと向かう執行猶予期間の予約死人ともいえる(ここでいう「老い」はもちろん「老成」などを含まない)。
死人は他人を平然と殺す。死出の旅路は道連れが多いほど良いから。
或いは、死人が生き返るためには、生贄の衝撃的死を必要とするためでもあるのかもしれない。
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by AMNESIac7 | 2010-06-12 08:28 | 雑記・雑感