逸脱せよ!


by amnesiac7
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殺人経験がもたらすもの

「殺人」という行為を経たことによって起こる精神の変質。
通常、ボクらがイメージする殺人といえば、「事件」なわけだが、2~3世代ほど遡れば、そのほとんどは「戦争」絡みではないだろうか。

個人的理由を超えた「国家」による強制。戦地に赴き、相手国人を殺戮する。
やらなければ、家族も含め、国家(共同体)からの迫害を受ける。
そんな状態のなか、外国の見知らぬ人間を殺す。兵士、市民、分け隔てなく。
彼らは、その後、いったいどんな思いを胸に生きたのだろうか?

ざんねんながら、うちの祖父さんは、父方、母方ともにボクが幼い頃に亡くなっている。
なので彼らから「忌憚のない」体験を聞きだすことができない(そもそも殺したのかどうかも知らない)が、ナマの声を聞いてみたいな、と、ふと思った。
完全な他人から、そういった話を聞いた場合の「変質」を読み取る労力も最小で済んだはずだから。

殺人によって起こる変質、すり替え。
能動的、受動的殺人との差異。
生命に対する感触。顔見知りと見知らぬ人間を殺すことのちがい。

「ゲーム世代」という言葉がある。
ゲームの中の世界のように、実際の生命を軽んじている、的な意味合いでの引用を受けたりする。
正確ではないものの、生命に対する感触は、これらの言葉を引用するひとたちと、やはり違うのだろう。

殺人と殺人者が身近だった時代の生命観。
身近さがメディアというフィルターを通したものであり、フィルターを通すことによって、すぐ隣で起こっても「遠い」感触をもたらすようになった現代における生命観。
生命そのものに対する「感触」が、希薄になってきているように思われる。

どんな体験をしても、身にならない人間というのがいる。
ひとつの体験から、とてつもなく骨太なものを作り出す人間もいる。
だが、ボクらの世代は「体験」の濃度そのものが薄まってきているように思われる。
人間と人間がぶつかり合うような。
ヴァーチャルだけでなく、さまざまな分野における贅肉ともいえるような「予備知識」のおかげで。
精神が一発で変質するような「決定的な体験」というものをボクは未だに得ていない。

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だからといって、「殺人」をしたいわけではもちろんない(笑)。
だけど、戦争を体験した世代のなかに、飛び抜けて優れた精神を持つ者たちを見つけ、その差に少なからずのモヤモヤを持たないわけでもない - とはいえ、戦争を体験したいとは微塵も思わないが。
いや、尊敬すべき人間が近しく、話せる世代のなかに存在しないのが、いちばんの不満なのだ。
戦後生まれの張りぼて具合には、どうにも納得のいかないところが多い - 精神論ひとつをとっても。
指標は、もはや過去にしかないのか?
指標を失うから、ひとびとはまた混迷し、戦争へと向かうのだろうか?
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by AMNESIac7 | 2010-05-19 23:31 | 雑記・雑感