逸脱せよ!


by amnesiac7
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マスメディアが立つギリギリのライン

人々を挑発するエッヂの欠落

マスメディアには本来、一般人が日常の生活では踏み込めない領域(先端)、ギリギリの場所をリポート(擬似提供)する役割が課せられていた
だが、一億総中流意識時代を経て、過剰な平均化思考が社会を覆い尽くして以降、マスメディアから
"挑発"の二文字は、年を追うごとに減少傾向にあり、結果、今や皆無にひとしい状態にまで到達した

現在、マスメディアにおける(リリースしうる)ギリギリのラインとは、駅でいうところの絶対に事故の起こらない"白線の内側"のことであり、けっして線路との境界になどにはその足を踏み込まないこと、という風に暗黙の協定が結ばれてしまっている
公序良俗の名の下、クレームなどつく余地のない、自己規制と自己検閲を重ねに重ねた上での
旨味もへったくれもない"味のない料理"が配膳される
賛否の否を求めない、クレーム耐性ゼロの人間たちが造り出す料理に、受け手が感動させられることなど、まずありえないにも関わらず、だ
マスメディアは現在、あまりにも慎重になりすぎて、後方反対側の線路に転落しかねない位置にまで来てしまった、とまでいうのはさすがに言いすぎだろうか?

ところで現在は、はたして未だに"平均化"思考時代を彷徨っているのだろうか?
答えるなら、もちろんNO
どちらかといえば、総寸断化時代だとすら思っている
そういった中では、"挑発"こそが求心、中心を造り出す源になりうるとボクなどは考えるのだが、
製作者たちは、いったい何を思っているのだろうか?(=制作者不在)

そもそも"マス(大衆)"と呼びうる塊が、現在も存在するのだろうか?
もし、いるとしても、それは何割かの思考放棄人間たちのことであって、そんな者たちために何かを
創作するなんて、なんとモチベーションの出ない不毛な作業だろうか

あと付け加えるなら、挑発と過激はかならずしも同義ではないということを言っておきたい
ここらへんを錯誤したままの、そういった人間たちがメディアの批判をしているのを見かけると
なにやら二重遭難の現場を見させられている気分なるので、一応ね("過激"じゃなく、"刺激"こそ重要)
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by AMNESIac7 | 2009-03-26 18:45 | 雑記・雑感