さまざまな視点、無制限な世界
2009年 01月 14日
レンタルビデオショップにて さまざまなパッケージを手にし
断片的情報を繋ぎ合わせ 吟味、吟味
断続的精神変化のなか 失われた他者との回路
何処とも繋がらない自分 しばし呆然
醒めて見る世界 さまざまな視点
その者にとっての全て、も 他者にとってはゼロに等しい価値
瞬間、瞬間 状況変化
地球をもし擬人化すれば 地球はケタ外れのサイコパスだ = 67.5億人格(×24?)
目まぐるしい変化のなか 対応すべき精神変化のなか
ボクは現在だけでなく 過去の自分との回路も失った
極小の世界を(感情の赴くままに)まさぐる手 遠くに伸ばし過ぎて甘くなる脇
すべて自分のなかにもあった感覚 ごっそりと(抜け落ち) 他人事のよう
深く掘れば掘るほど 吟味すればするほど
足元(現在地)は崩落し ボクらはみんな迷子になる
喪失感、無力感 他者と繋がる唯一の回路が、こんなもので良いのか?
ダレとも繋がらないということは ダレにも縛られない 完全なる自由への鍵
変化を恐れるな 羅針盤も必要ない
回転しつづけ ドコにでも顔を出せばいい
こんな文章を書いていても ボクには強力なベクトルがかかっている
まるでボクがそんな人間であるかのように 予定調和的回答に落ち着く
変化しているつもりで (表層以外)なにも変わっていない
感情に完全に支配されながら 論理的武装を謀るペテン師
---------------------------------------------------------
店内にあったRADIOHEADの『KID A』に対するアルバム評に
「新しい時代の幕開け」というコピーがあった。
ボクにとっては「新しい秩序への拒否反応、および悲鳴」というのが、このアルバムに対する評価なのだが、同じものを好きでも、こうも捉え方が違うというのは、人間の感覚のおもしろさとむずかしさだ。
たぶん、どちらも(自分にとっては)まちがいではない。これで他人を批判するのは、自己原理主義者ともいえる所業だ。
_だけど、業は業であるだけに、譲れない部分もある。
資本原理主義、弱肉強食にさらされた感情支配型社会、およびそれらのグローバル化。
それらを無視し、自分の小さな世界を固守するも、自らも手を広げ、戦う(両極的闘争あるいは逃走する)も、ひとそれぞれの自由だ。
(啓蒙という思想も、逃走者たちには冷たい風にもなりうることに留意せねばなるまい)
レンタルビデオショップで感じた世界の縮図。
ここにはイスラム社会やヒンドゥー、その他の悲鳴の大半がごっそりと抜け落ちているけど、それでもなお世界の混沌を感じるには充分すぎる場所だ。
みんながみんな悲鳴を上げている世界で、他人の悲鳴をトランキライザー代わりに、ひとびとは奪い、傷つけ合う。暴走する地球社会。洪水が起こる前に、現行のレールを外す方法は?
_ここから「方舟計画」へと向かう思想には、ボクは同意しかねる。あまりにも単純なバカの集まりを作り出すことは、火を見るよりも明らかだからだ。たとえ、それが「知」を標榜したものであっても、自家中毒も甚だしい排他主義に他ならないから。
断片的情報を繋ぎ合わせ 吟味、吟味
断続的精神変化のなか 失われた他者との回路
何処とも繋がらない自分 しばし呆然
醒めて見る世界 さまざまな視点
その者にとっての全て、も 他者にとってはゼロに等しい価値
瞬間、瞬間 状況変化
地球をもし擬人化すれば 地球はケタ外れのサイコパスだ = 67.5億人格(×24?)
目まぐるしい変化のなか 対応すべき精神変化のなか
ボクは現在だけでなく 過去の自分との回路も失った
極小の世界を(感情の赴くままに)まさぐる手 遠くに伸ばし過ぎて甘くなる脇
すべて自分のなかにもあった感覚 ごっそりと(抜け落ち) 他人事のよう
深く掘れば掘るほど 吟味すればするほど
足元(現在地)は崩落し ボクらはみんな迷子になる
喪失感、無力感 他者と繋がる唯一の回路が、こんなもので良いのか?
ダレとも繋がらないということは ダレにも縛られない 完全なる自由への鍵
変化を恐れるな 羅針盤も必要ない
回転しつづけ ドコにでも顔を出せばいい
こんな文章を書いていても ボクには強力なベクトルがかかっている
まるでボクがそんな人間であるかのように 予定調和的回答に落ち着く
変化しているつもりで (表層以外)なにも変わっていない
感情に完全に支配されながら 論理的武装を謀るペテン師
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店内にあったRADIOHEADの『KID A』に対するアルバム評に
「新しい時代の幕開け」というコピーがあった。
ボクにとっては「新しい秩序への拒否反応、および悲鳴」というのが、このアルバムに対する評価なのだが、同じものを好きでも、こうも捉え方が違うというのは、人間の感覚のおもしろさとむずかしさだ。
たぶん、どちらも(自分にとっては)まちがいではない。これで他人を批判するのは、自己原理主義者ともいえる所業だ。
_だけど、業は業であるだけに、譲れない部分もある。
資本原理主義、弱肉強食にさらされた感情支配型社会、およびそれらのグローバル化。
それらを無視し、自分の小さな世界を固守するも、自らも手を広げ、戦う(両極的闘争あるいは逃走する)も、ひとそれぞれの自由だ。
(啓蒙という思想も、逃走者たちには冷たい風にもなりうることに留意せねばなるまい)
レンタルビデオショップで感じた世界の縮図。
ここにはイスラム社会やヒンドゥー、その他の悲鳴の大半がごっそりと抜け落ちているけど、それでもなお世界の混沌を感じるには充分すぎる場所だ。
みんながみんな悲鳴を上げている世界で、他人の悲鳴をトランキライザー代わりに、ひとびとは奪い、傷つけ合う。暴走する地球社会。洪水が起こる前に、現行のレールを外す方法は?
_ここから「方舟計画」へと向かう思想には、ボクは同意しかねる。あまりにも単純なバカの集まりを作り出すことは、火を見るよりも明らかだからだ。たとえ、それが「知」を標榜したものであっても、自家中毒も甚だしい排他主義に他ならないから。
by AMNESIac7
| 2009-01-14 17:25
| 雑記・雑感