毒との付き合い方
2009年 01月 05日
ホピ族のことばに、怒りは自分に盛る毒、というのがある
一休宗純の説く、地獄の在処ともつながる教え(そんなのあったか?)で、これはたしかに気をつけなければならないな、としみじみ
だが、怒りの所在が自身の内にではなく、他者の無法行為(グレアム・ヤングで溢れかえる現代世相)によるものだと、これは少々始末がわるい
今年一発目のおみくじで、末吉を引いた
ミスター大吉を自認する者としては、少々がっくりときたのだが、実際にそこに書かれていた文面を読むと「おや、なんだ、この相当良いカンジは?」と
今までの苦しみ、煩いが消え、心楽しい時が遠からず訪れる
おいおい、ウキウキしてくるじゃないか(注・モンキーじゃないよ)
ただ、裏面の教えを読んでドキリ
私は誰よりも偉い、などという、他人に対する驕りを払え、身の破滅を招く、とあったからだ
何事も相対性の中にある
自分は誰よりもエライなどという驕慢は、さすがにこの年にもなると持ち得ないが、他人を阿呆と見做すクセは、年を追うごとに深くなってきているという自覚があった(一般的人間に対する"飽き"から)
結果、先に触れた戒めと同等の状況を招く可能性は充分あるだろう
近年、「オマエは自分のことをダレよりも賢いと思っているやろ!」という暴言を耳にしたことも、一度や二度のことではない(ボクの言葉は、いつも容赦が足りないので、そういうことを言われるのだろうが)
近ごろ、自分のなかの不確かな何かが、ようやく形を持ち出し、自己が形成され始めているという手ごたえを感じることが少しずつ増えてきている
これはちょっとした自信、悪く出ると"絶対感"に近いものを錯覚させる要素にもなりうる症状だ
不確かなモノが、確かなモノになりうるまで、言葉や態度は極力慎むことにしようか(一生かけてもやってこないかもしれない確かなモノを求めて)
今回の場当たり的、極論暴論
阿呆には怒りではなく、ことばのとおり、呆れで対応せよ(意外でもなんでもないが)
一休宗純の説く、地獄の在処ともつながる教え(そんなのあったか?)で、これはたしかに気をつけなければならないな、としみじみ
だが、怒りの所在が自身の内にではなく、他者の無法行為(グレアム・ヤングで溢れかえる現代世相)によるものだと、これは少々始末がわるい
今年一発目のおみくじで、末吉を引いた
ミスター大吉を自認する者としては、少々がっくりときたのだが、実際にそこに書かれていた文面を読むと「おや、なんだ、この相当良いカンジは?」と
今までの苦しみ、煩いが消え、心楽しい時が遠からず訪れる
おいおい、ウキウキしてくるじゃないか(注・モンキーじゃないよ)
ただ、裏面の教えを読んでドキリ
私は誰よりも偉い、などという、他人に対する驕りを払え、身の破滅を招く、とあったからだ
何事も相対性の中にある
自分は誰よりもエライなどという驕慢は、さすがにこの年にもなると持ち得ないが、他人を阿呆と見做すクセは、年を追うごとに深くなってきているという自覚があった(一般的人間に対する"飽き"から)
結果、先に触れた戒めと同等の状況を招く可能性は充分あるだろう
近年、「オマエは自分のことをダレよりも賢いと思っているやろ!」という暴言を耳にしたことも、一度や二度のことではない(ボクの言葉は、いつも容赦が足りないので、そういうことを言われるのだろうが)
近ごろ、自分のなかの不確かな何かが、ようやく形を持ち出し、自己が形成され始めているという手ごたえを感じることが少しずつ増えてきている
これはちょっとした自信、悪く出ると"絶対感"に近いものを錯覚させる要素にもなりうる症状だ
不確かなモノが、確かなモノになりうるまで、言葉や態度は極力慎むことにしようか(一生かけてもやってこないかもしれない確かなモノを求めて)
今回の場当たり的、極論暴論
阿呆には怒りではなく、ことばのとおり、呆れで対応せよ(意外でもなんでもないが)
by AMNESIac7
| 2009-01-05 20:14
| 雑記・雑感